人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「美しい赤毛の女」のために

ぼくの囚人番号は3036番。もう4年も前なのに覚えていて、この先も忘れは(また入獄でもない限り)しないだろう。横浜拘置所では4年前の夏、男囚房はすべての未決囚が3000番台だった。女囚房は別棟だから知らない。通し番号でも分類番号でもないらしい。
選べないのは当然だが、得な番号だな、と気づいたのは1日最低でも2回ある点呼の時だった。ぼくの番号は音韻的にシンプルな上、3拍で言える。これが3797とかだと音韻は複雑、7と9は読みがまちまち、4拍どころか5拍も食いかねない。刑務官にどやされ、同房者に八つ当たりされる。
それでも常に刑務官に番号で呼ばれて指図されていると、ああ、本当にそうだな、とアポリネールの「獄中歌」を思い出さずにはいられなかった。
「ここでは僕はもう/自分が自分のような気がしない/僕は今では/十一班の十五番という物体だ」(堀口大學訳「アポリネール詩集」新潮文庫)
こんなの誰だって想像で書ける、とあなどられそうな詩句だ。ぼくも文学少年の頃から何十回も読み飛ばしてきた。そうじゃないのだ。この詩は「十一班の十五番」でなければならない。拘置所のすべての記憶が風化しても、3036番だけがすべてを代表して残るように。

また入獄経験の話になったのは、先週裁判所で審査を受けた件で精神的後遺症が生じていないか、訪問看護士や主治医に心配されたからだ。
「何ともありません」
とぼくは答えた。前の晩はつらかった。当日は無事に済ませてほっとした。拘置所から釈放されてきた時とは雲泥の差。獄中では監禁状態が現実のすべてなので、外の世界の感覚がほとんど失われる。まるで前世の記憶をたどるように。これは入監経験者の一般的な感覚らしい。
「軍隊還りってこんなものかな、と思いました」
それがあの時の、ぼくの実感だった。

アポリネールモナ・リザ盗難事件(!)では冤罪が証明されたが第1次世界大戦では志願兵となり負傷、看護婦と職場結婚してすぐにインフルエンザで死んだ。新婦を歌った絶唱に「美しい赤毛の女」がある。
「…ほら激しい季節 夏がやってきた/春のようにぼくの青春も死んだ/おお太陽よ 今こそ熱い理性の時だ/……/それはやってきてぼくを引きつける 磁石が鉄を引くように/それは魅惑的な姿をしている/すてきな赤毛の女のように…」
希望。今日はぼくの誕生日だ。