人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

誰がマンボに'ウッ!'をつけた?

はい、いったい誰がつけたんでしょうねえ?これはもともとアメリカ40年代のジャンプ・ブルース(ジャイブともいう)が原曲で、原題の直訳で我妻光良&スウィンギング・バッパーズが取り上げている。原題?'Who Is Added 'Uh!' To Mambo?'とかまあそんな感じだったと思う。これを「誰がマンボに「ウッ」をつけた?」とさりげなく訳したところにセンスの良さが感じられる。
ブルースとジャズの時代のポピュラー・ミュージックには粋なタイトルが多かった。もちろん歌詞の内容も大人向け、歌手もそれを説得力を持って歌いこなせねばならない。ポピュラー・ソングの内容が色恋沙汰なのは昔も今も変わらない。もちろん大人の恋愛だ。
では子供はどうか?そんなポピュラー・ソングばかりの時代には、子供は音楽的娯楽から疎外されていたのだろうか?
いや、子供は歌詞の意味なんか判らなくても歌っていた。それが子供というものだから。

構造主義の流れをくむフランスの歴史研究に「アナール学派」というのがある。これはその時代において音楽がどう演奏されていたかを考証・再現するクラシックのヒストリカル・アプローチと同時代的思潮として見ることができる。
そのアナール学派の代表フィリップ・アリエスに「子供の発見」という著書がある。子供、という概念は近代までなかった、小型の人間として扱われ、労働力にされ、衣服も大人の縮尺を子供の背丈に小型化したものだった。
子供時代は学習や情操を養う大切な時期だ、とルソーは「新エミール」で新しい児童教育を提唱したが、労働力としての児童への親権者の権限を脅かすものとして危険視された。それから2世紀を過ぎて、児童労働は解消され、義務教育は20世紀にはほぼ根付いたように見える。
児童労働の規制と学習機関の保証、それはいい。だが本当の問題点はそれだったのだろうか?

映画の商業化は20世紀初頭だが、初めて子供の世界を描いた映画は「新学期・操行ゼロ」(1934年フランス/監督=ジャン・ヴィゴ)、「生まれてはみたけれど」(1935年松竹/監督=小津安次郎)とされる。それ以前にも子供と老人や浮浪者との交流を描いたアメリカ映画の名作に「涙の舟歌」(監督=キング・ヴィダー)「キッド」(監督=チャールズ・チャップリン)等が挙げられる。だが…(また文字数制限)