人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

The Doors(その2)

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ジム・モリソン個人とザ・ドアーズというバンドの魅力は分けてみるべき部分がずいぶんあります。破滅型詩人でカリスマというのも本人が創案し、バンドがもり立てたペルソナです。ドアーズは同時代のバンドからは売れ線だと嫌われ(特にザ・バンドグレイトフル・デッドとは犬猿の仲)、No.1ヒット3曲、全スタジオ・アルバム6作をトップ10入りさせながら、大仰で芝居がかったステージを揶揄されていたバンドです(ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリン喝采されていたのに)。モリソンの急逝はラスト・アルバムの完成後。ツアーもプロモーションもなくバンド活動休止という事実上の解散を迎えた時期で、メンバー3人は葬儀にも出ずすぐに3人編成の新作の制作に入りました。こうしたことすべてがジム・モリソンであり、ザ・ドアーズなのです。

ジムの急逝がヘロインによるものというのもジミやジャニスとおなじ伝説化で、モリソンは泥酔して入浴中眠り込んで心臓麻痺、江戸アケミ(暗黒大陸じゃがたら)や岡本信(ザ・ジャガーズ)とおなじです。ちなみにジミとジャニスは過労死で、ジミは時差ボケで睡眠薬を飲み嘔吐して窒息死、ジャニスは泥酔して服薬し過剰効果で心肺停止。ふたりとも過密スケジュールでした。
モリソンは一度ドアーズから離れまた戻ってくれば、'L.A.Woman'延長上の、さらに等身大で力みのとれたシンガーになる可能性もあったと思います。でも誰よりジムのカリスマ性にこだわったのは、リーダーのレイ・マンザレクでした。

皮肉かつ正当なことに、ジム・モリソンは急逝によって名誉回復されました。実働5年とはいえ残されたアルバムはすべて傑作か佳作。これほど質の高いアルバムを作り続けたのはビートルズを筆頭に何組もいません。モリソン逝去後のドアーズは失敗作を2作制作し、ヴォーカルはオルガンのマンザレクが兼任して積極的にライヴ活動を行いましたが、モリソンという焦点を欠いたドアーズはやがてメンバーのソロ活動により自然消滅しました。ドアーズの再評価は映画「地獄の黙示録」への代表曲「ジ・エンド」の使用、その反響から発売された「ヴェリー・ベスト・オブ・ドアーズ」の大ヒットから始まります。

図版上は第二作「まぼろしの世界」1967、中はジムの遺作「L.A.ウーマン」1971、下は「ヴェリー・ベスト」のCD版増補ヴァージョンです。