人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画監督・山中貞雄

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こんにちは。29歳で召集され戦死した山中貞雄監督は20本以上の監督作品がありながら3本しかフィルムが残っていませんが、その3本とも名作である上に、同時代者の証言や残されているシナリオから検証すると全作品が「丹下左膳・百萬両の壺」や「河内山宗俊」「人情紙風船」と同等の名作・佳作揃いと推定され、80年代半ばにはそれらをまとめた「山中貞雄全集」全3巻が刊行されているほどです。
ぼくもこの3本は学生時代、大学近くのシネマテークで上映があるごとに何度観ても飽きませんでした。「百萬両の壺」には敗戦直後にアメリカ軍の検閲でカットされた場面が1シークエンスありますが、それでも最高です。ほぼ同時期に、「新学期・操行ゼロ」「アタラント号」を遺して29歳で急逝したフランスのジャン・ヴィゴ監督が連想させられます。山中には小津安次郎、ヴィゴにはジャン・ルノワールという偉大な先輩がいました。これも共通点のひとつです。
フィルムが現存する3本はいずれも名作とされながら好みは分かれます。任侠映画河内山宗俊」はデビュー直後の原節子を可憐なヒロインに起用。戦時下の不安を投影したかのような「人情紙風船」は上映当時から高い評価を受けてきました。ラストシーンは1966年のカルト映画「裏切りの季節」と並ぶものです。
客観的な評価を置き、おそらくいちばん愛されているのは「丹下左膳・百萬両の壺」でしょう。これは丹下左膳映画と百萬両の壺ネタの両方のパロディで、大河内伝次郎本人が丹下左膳を演じながらホームドラマ調のコメディになっており、本来の丹下左膳映画を凌駕する評価を得ています(大河内伝次郎自身はこの作品を嫌っていたというのも面白い逸話です)。
山中貞雄伊丹十三を結ぶ線もあります。伊丹十三のお父さんは山中と同年代にやはり天才映画監督と称えられた伊丹萬作でした。こちらはさらにきびしく「赤西蠣太」「白痴」の2本しかフィルムが現存しません。映画はまだ消耗品だった時代でした。
溝口健二伊藤大輔、小津安次郎、マキノ雅弘山中貞雄、伊丹萬作、成瀬巳喜男らの作品を観れば、戦前・戦中に日本映画は最初の黄金時代を迎えていたことが判ります。映画自体が青年期だったということは今日の映画より若いということです。とりわけその魅力を凝縮させたのが山中貞雄作品です。機会があればぜひ。