人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

気の早いカボチャ

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気が早いのは嫌いではない。その証拠にぼくのつきあった女性はみんな気が早かった。おかげでぼくの女性観は相手が変るたびに歪んでいったと思う。ぼくとしてはべつに気が早い女性だから好きになったのではない。ではどういうことかというと、

1.ぼくは気が早い女性に目をつけられやすい。
2.相手の気持にうすうす気づいても優しい態度を崩さない。
3.それでもっていつの間にか後戻りできない状況に追い込まれる。
4.恥かしいので以下略。

なるほど、ぼくのブログ記事を読んだ方に(その人も女性)「太宰治を思わせます。キーワードは女難」と言われるだけはある。きっと強引な女性にマゾヒズム的に弱いのだ。遠回しには3、4人、きっぱり断れたのは5、6人しかいないかもしれない。こうなると先に書いたことは取り消しになってしまう。嫌いではないどころではない。ぼくは気の早い女性に弱いのだ。

だいたいそういう時の女性は自信にあふれている。客観的には滑稽なくらいだと思うが、あいにくここで問題にしているのはぼく自身が当事者だ。

いちおう相手の名誉も考慮して、別れた妻を例にとる。数回のデートの後いきなり泊まりに来た。私があなたに決めたんだからあなたも私に決めてよ、私たちは一緒にいるのがいちばんしあわせなのよ、だから私たちは運命なのよ。

ぼくに女ができてしまう時はいつもこれを拒めなかった時だ。紆余曲折あったが非常手段を使って(いわゆる「出来ちゃった」)1年後には結婚にこぎ着けた。なれそめから離婚までの12年はとても密度が高かった。3回くらい結婚と離婚を繰り返した感じだ。娘もふたりだけだが、離婚した時点の娘たちと現在の娘たちの合計4人いる気がする。

ふたたび太宰治だが、太宰は生前から文体も発想も「女々しい」となじられた(同時に、近松秋江宇野浩二中戸川吉二葛西善蔵ら大正時代のマイナー作家の影響もある)。悪い意味ではなく、太宰には女性的な感受性があると思う。このぼくの他愛ない小文も乙女のつづりごとにすぎない。

だがぼくにしろ太宰にしろ(おお!)女性的ではあっても女性ではなく、男でなければ書けない種類の文章を書いているように、男の「女々しさ」「女性的感覚」は本来の女性には備わっていないものなのだ。

…と、店頭のハロウィン用カボチャにこぼしてきた。なんとまあ気が早い。