人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年2月14日・15日/日本の昭和10~20年代時代劇(5)

イメージ 5

 '20年代サイレント時代劇から始めて昭和10年代~20年代時代劇をコスミック出版の廉価版DVDボックス『名作映画 サイレント劇場』(10枚組)、『時代劇傑作集』(9枚組)で観てきましたが、やはりこういう具合に知名度も高い作品と全然知らない作品が手当たり次第にぶちこんである箱物は周期的に克己心が湧いた時でもないと一気に観る気を起こしづらいもので、実はかなり前に買ってあったのに手つかずのままになっていました。それを一気に観る気になったのはヒッチコック全作品年代順連続視聴を済ませたからで、次に何を観ようかと考えてもあまり気乗りがせず、こういう時に無心に観る映画こそ西部劇や時代劇、それもなるべく賞味期間切れと言って語弊があるなら匿名性の高い作品ではなかろうか、と思ったのでした。結局観てみたら匿名的どころでは全然なかったのも西部劇と同じで、昭和20年代までの時代劇を観るのは外国映画と同じくらい別世界の文化的産物です。自分の趣味嗜好ではなく作品自体の基準で映画を観るのはなかなか骨が折れることですが、本当に今回観たのは牛尾の一毛とは言え、そうした点では歯ごたえのある集中鑑賞になりました。ただし映画としては感想文を書くのにこれほど苦心する対象はなく、知らない人は全然知らない、知っている人はやたらと詳しいような種類の映画ですから感想文の方はまったく失敗ばかりになってしまったと思います。

●2月14日(水)
マキノ雅弘『すっ飛び駕』(大映京都'52/8/21)*93min(オリジナル98分), B/W

イメージ 3

監督・マキノ雅弘/脚本・伊藤大輔/原作・子母沢寛/企画・亀田耕司、浅井昭三郎/撮影・宮川一夫/美術・上里義三/音楽・鈴木静一
出演・大河内傳次郎(河内山宗俊)、黒川弥太郎(森田屋清蔵)、河津清三郎(片岡直次郎)、三浦光子(お銀)、長谷川裕見子(三千歳)、伏見和子(お春)、南条新太郎(金子市之丞)、澤村國太郎(北見大蔵)、荒木忍(丈賀)、東良之助(大村典膳)、光岡龍三郎(山崎和泉)、原聖四郎(金次)
○解説(キネマ旬報日本映画データベースより) 亀田耕司と浅井昭三郎の共同企画で、読売新聞と大阪日日新聞連載の子母沢寛原作から「銭形平次捕物控 地獄の門」の伊藤大輔が脚本を書き「離婚」のマキノ雅弘が監督、「滝の白糸(1952)」の宮川一夫が撮影に当っている。出演者の主なものは「四十八人目の男」の大河内傳次郎、「振袖狂女」の黒川弥太郎、「利根の火祭」の三浦光子、「怪談深川情話」の長谷川裕見子、「霧の夜の兇弾」の河津清三郎のほか、伏見和子、澤村國太郎、荒木忍などである。
○あらすじ(同上) 千代田城のお数寄屋坊主というのは表向き、練塀小路に住んで、ゆすりたかりを業とする河内山宗俊は、ふとしたことから奥州棚倉藩の金子市之丞という男を救った。聞けば市之丞の父は、棚倉藩の筆頭家老であったが、河川改修工事にからまる作事家老大村典膳一味の不正を摘発しようとして、かえって彼等の手にかかって横死した。市之丞は生前父より渡されていた証拠書類を持って江戸表の藩主に通報しようとしたのだったが、早くも典膳方に追撃され書類の一部は家来諸共激流のなかに見失ってしまった。そのため、市之丞は江戸へ出て来ても、絶えず彼等につけねらわれているのだった。その市之丞を救った河内山宗俊は、市之丞を密貿易の森田屋清蔵にあずけた。清蔵には、幼い頃生き別れした妹があったが、それが吉原で三千歳という花魁になっていることを知って、宗俊に彼女の身の振り方を頼んだ。宗俊は、この三千歳と市之丞とを結びつけてやろうとするが、三千歳には片岡直次郎という御家人くずれのやくざな情人がついている上、市之丞は大望のある身で、二人の間は一向に進まなかった。その間に、市之丞は、証拠書類を典膳たちに奪われてしまい、森田屋は悪事がばれて家に火を放って自首した。そこで宗俊は吉祥院の御使僧といつわって棚倉藩の上屋敷へ乗り込んで事の些細を報告した上、逃亡寸前の典膳一味を市之丞と共に急襲、彼等を討ち果した。直次郎は三千歳を誘って高飛びを企てたが、最早市之丞の男らしさにひかれている彼女はこれに応じなかった。しかし使命を果した市之丞は自首の肚をきめた宗俊に三千歳のことを頼まれると一旦これを断って、国元への帰還を急ぐが、途中三千歳の可憐な姿を思い浮べ、また宗俊への恩義を思って、すっ飛び駕で江戸へ、三千歳の許へ、とってかえすのだった。

イメージ 4

 牧野プロ総帥牧野省三(1878-1929)のの御曹司で'26年(大正15年)弱冠18歳という異例の監督デビューを果たしたマキノ雅弘(1908-1993)はサイレント時代から劇場映画引退の'72年(昭和47年)まで261本もの監督作を誇る日本映画史の生き証人だったような人で、劇場映画引退後はTVシリーズの演出が主な仕事でした。年齢は黒澤明のような戦中デビュー、戦後いち早く第一線に活躍した監督たちに近いのですが、あまりに早い監督デビューがためにもっと年長のハワード・ホークス(1896-1977、監督デビュー'26~遺作'70)やアルフレッド・ヒッチコック(1899-1981、監督デビュー'25~遺作'76)とキャリアが重なる、サイレントとトーキーをまたいで活動した監督です。日本映画の娯楽作品は前後篇という慣習があって数え方がまちまちになりますが、前後篇別公開ならばそれぞれ単独作品、前後篇同時公開なら合わせて1作品として数えれば、前々回取り上げた『織田信長』'40(昭和15年)が監督作品110作目、今回ご紹介する『すっ飛び駕』'52/8(昭和27年)が160作目、『続丹下左膳』'53/9(昭和28年)が170作目ですから『すっ飛び駕』『続丹下左膳』の時期などは半年の間に監督作10作を送り出していたことになり、インフラ整備も万全ならスタッフ・キャストともに大手5社(日活、松竹、大映東宝東映)と社員契約形態で仕事をしており流れ作業のように量産の可能だった全盛期の日本映画の製作環境を思い知らされるようなフィルモグラフィーを誇る監督がこの人でしょう。'28年(昭和3年)の全四話ある『浪人街』の『第一話 美しき獲物』がキネマ旬報日本映画ベストテン1位、同年の『崇禅寺馬場』が4位、『蹴合鶏』が7位で、翌'29年(昭和4年)の『首の座』もベストテン1位獲得とまだ20歳にしてサイレント時代の日本映画の最先端を行く監督と見なされていたマキノは父・省三の'29年の急逝後牧野プロを引き継ぎ多大な借金とスタッフ・キャストの身の振り方に尽力し、牧野プロ解散の後は牧野プロ独自で進めていたトーキー技術を生かしてしばらく第一映画(大映の前身)で録音技師専業を経て監督に復帰し、製作プロに縮小した牧野プロの監督として来る仕事拒まずでどんな依頼先からの企画でも引き受けて多作する映画監督になります。溝口健二の戦中作品『宮本武蔵』'44はなぜか忘れがたい手抜きの凡作ですが、こないだ偶然溝口文献を読んでいたらプロデューサーはマキノ雅弘だったので仰天してしまいました(『宮本武蔵』はフィルム節約のためかタイトル『宮本武蔵』の次に字幕タイトル「討ちして止まん」と筆文字で出て、スタッフ・キャストのクレジットが一切ない映画なのです)。今回観てきた『名作映画 サイレント劇場』も『時代劇傑作集』も大なり小なり牧野家の引力圏内の映画であり、牧野家と関わりのないのは生粋の松竹映画くらいですが俳優は牧野の門をくぐっている場合も多いから松竹にすら侵食していることになります。
 本作の場合監督がマキノの大映映画で当時マキノは東宝で『次郎長三国志』のシリーズ監督中、脚本の伊藤大輔は言わずと知れたサイレント期からの日活の大河内傳次郎主演作の大監督、撮影の宮川一夫大映が誇る日本映画のトップクラスのカメラマン、とつけいる隙がありません。美術と照明が優れているのもあるでしょうが、河内山宗俊の隠れ家などは本当に江戸時代で撮影してきたんじゃないかというほど薄暗くて湿度まで伝わってくるようで、松竹からはもっとも遠く現代劇に移った日活からは失われ東宝東映にはない大映時代劇ならではの空気感(むしろ5社番外の新東宝には通じる)がドラマは歯切れ良く進む本作にも独特の重さを与えていて、こういうのって時代劇ノワールと言っては変かもしれませんが殺し合いと復讐の世界で右へ左へ運命が変転していく男女の話ですから映画の印象はそれがいかにばっちり決まっているかにかかっており、心配の必要もなく見事に決まったいるわけです。これほどの脚本を他の監督に提供した伊藤大輔の余裕にしびれますが、実はキネマ旬報の映画紹介のあらすじには実際の映画と異なる展開、部分が相当ある。これまでも外国映画紹介で明らかに誤りの部分は正して引用させてもらってきましたが、日本映画の場合プレスシートが試写に先だって完成されている場合、脚本の決定稿から実際の撮影台本、さらに撮影中の変更でプレスシートの紹介内容と完成した映画本編に相違が生じ、さらに試写がラッシュ編集段階で行われると完成した映画内容はプレスシートの方が正しいと解釈されてそのまま紹介される場合も考えられます。つまりキネマ旬報が間違えたのではなく映画の方が公開される段で内容を改訂したということです。かなり映画の印象が変わるその違いは、ぜひご覧になって確かめてみてください。

●2月15日(木)
マキノ雅弘『続丹下左膳』(大映京都'53/9/1)*75min(オリジナル89分), B/W

イメージ 1

監督・マキノ雅弘/構成・伊藤大輔/脚色・柳川真一/原作・林不忘/企画・清水龍之介/撮影・竹村康和/美術・上里義三/音楽・鈴木静一/録音・中村敏夫/照明・西川鶴三
出演・大河内傳次郎(丹下左膳)、大河内傳次郎(大岡越前守)、水戸水子(お藤)、山本富士子(お艷)、沢村昌子(彌生)、三田隆(諏訪栄三郎)、市川小太夫(饗庭主水正)、田中春男(遊び人與吉)、澤村國太郎(鈴川源十郎)、南条新太郎(伊吹大作)、羅門光三郎(蒲生泰軒)、葛木香一(家老)、水原洋一(土生仙之助)、光岡龍三郎(月輪軍之助)、原聖四郎(諏訪藤次郎)、武田竜(将軍吉宗)、浪花千栄子(婆やおさよ)
○解説(キネマ旬報日本映画データベースより) スタッフ、キャストとも前篇「丹下左膳(1953)」と同じ顔ぶれである。
○あらすじ(同上) 妖刀乾雲・坤龍をめぐる江戸市内の擾乱にこころ悩ました南町奉行大岡越前守は、将軍家を動かして饗庭主水正を出府せしめ、擾乱の元凶丹下左膳が饗庭藩士なりや否やを糾すが、累の及ぶことを怖れた主水正は、これを否む。ばかりか、主君懐しさに訪れた左膳を冷めたく追い払い、月輪軍之助の統べる月輪剣団に彼を斬り、刀を奪うべく命じる。激怒した左膳は群がる剣士らを斬り立て、越前の配下の捕方の波を蹴やぶって姿をくらます。今は持ってすべない乾雲を元の持主に返そうにも彌生は行方不明。左膳を愛する櫛巻お藤は、彼が彌生に刀を返すまでは危険な江戸市中を離れる意志のないことを知り、必死に彌生を探しまわる。そのあとをつけて左膳の所在をうかがうものに月輪剣団、無頼の旗本鈴川源十郎一味、そして遊び人鼓の与吉がある。鈴川はかねて拐わかしたお艶が左膳の手から乾雲を奪いかえすことを条件に、彼になびくという言葉に駆られて左膳を狙い、与吉は刀をもとに大金もうけの算段である。お藤の探ねる彌生は、じつは大岡越前邸にかくまわれていた。一方、坤龍をたずさえる諏訪栄三郎また、左膳をもとめて市内を彷徨する。互いに呼びあう妖刀の呪いは彼の身うちにも移り、しだいに殺伐な気分にかりたてられてゆく。大江戸の闇はまだ深かった。

イメージ 2

 正編を観ずに続編だけ観て感想を書くのはどうかとも思いますが本作は本作でまとまった内容の映画です。西部劇でも時代劇でも人気の題材のものは途中から始まっている場合が多く、ビリー・ザ・キッド映画やジェシー・ジェイムズ映画は生い立ちから始まりはしないでしょう。正編『丹下左膳』(大映京都'53/7/1)の方は、キネマ旬報日本映画データベースでは、
○解説 林不忘の「丹下左膳」シリーズ中、乾雲坤龍二刀の争奪戦物語を、戦前幾度か左膳に扮した大河内傳次郎(地獄太鼓)が戦後始めて左膳を演ずる。脚本を「刺青殺人事件」の伊藤大輔と「疾風からす隊」の柳川真一が書き、「次郎長三国志 第四部 勢揃い清水港」のマキノ雅弘が監督している。撮影は「地獄太鼓」の竹村康和。出演者は大河内の他、「欲望」の水戸光子、花の喧嘩状」の山本富士子、「暴力市街」の沢村晶子、三田隆など。
○あらすじ 江戸、小野塚鉄斎の許にある名刀乾雲坤龍の二振を、刀剣蒐集狂饗庭侯の命でかねて狙っていた丹下左膳は、鉄斎を戦り乾雲を奪ったが、居合せた娘彌生の美しさが何故か忘れられなかった。鉄斎門下の諏訪栄三郎は水茶屋のお艶と相愛の中で、二人で新世帯を持ったが、栄三郎を慕っていた彌生はお艶のことは承知で坤龍を栄三郎に預け、彼は乾雲奪還を誓った。左膳の厄介になる旗本鈴川源十郎は左膳を語らって栄三郎を襲撃し、源十郎はお艶を得たが坤龍を得る事は出来なかった。以来左膳は夜毎街々に出没して試斬りしては坤龍を求める。鈴川の賭場の常連莫連櫛巻のお藤は左膳にひたむきな恋を寄せているが、彌生の幻を追う左膳は見向きもしないので、彌生を恋人栄三郎の隠れ家へ案内したが、彼は留守で、同じ賭場の常連で兄の遊び人与吉の手で脱走してきたお艶と会う。この隙にお藤は坤龍を盗んでくるが、左膳は乾雲を与吉に盗まれていた。お艶を妾に売り飛ばそうと企んでいる与吉は、手切れとして乾雲を栄三郎に渡す。左膳と栄三郎は橋の上で勝負するが、栄三郎は川中へ転落する。町奉行大岡越前守は巷の擾乱が二刀の争奪にある事を蒲生泰軒から知らされ、取締りを強化する。今や二力に魅せられ血に狂った左膳は、月ノ輪剣士の援助も斥け、ひたすら坤龍を求める。と、そこへ現れた栄三郎。相対峙する二人に御用提灯の波が押し寄せる。
 ――となっています。つまり正編もすでに丹下左膳が妖刀を求めて血なまぐさい放浪を続けている真っ最中から始まっていたようです。刀匠の娘の彌生(沢村昌子)に惹かれた左膳と左膳に惚れているお藤(水戸光子)の話が正編から始まり、続編はお尋ね者となった左膳を妖刀探しを命じていた主君の饗庭主水正(市川小太夫)は大岡越前守(大河内傳次郎二役)の追及を恐れて断絶、その上左膳抹殺の命を臣下の月輪軍之助(光岡龍三郎)率いる月輪剣団に下し、四面楚歌になった左膳を拳銃使い(!)のお藤だけが護ろうとするが、人斬りの催引力を秘めた妖刀乾雲を持つ左膳は妖刀坤龍を持ち辻斬りをくり返す諏訪栄三郎(三田隆)と妖刀同士が引き合う力で放浪を止めず、そこに諏訪の内縁の妻お艶(山本富士子)に蕩され左膳から妖刀乾雲を奪おうと追ってくる無頼の旗本鈴川源十郎(澤村國太郎)、金目当てで乾雲を狙う遊び人の鼓の与吉(田中春男)が絡んで行く先々で血の雨が降り、左膳はついに自分を見捨てた主水正邸に乗りこむ、と、正編があらすじを見ると左膳が追い詰められて一応終わっているように、この続編も大きなクライマックスがありますが見方によってはやはり左膳が追い詰められて終わっており、原作も妖刀編の次はこけ猿の壺編になるようで戦前に山中貞雄がコメディ仕立てでこけ猿の壺を撮りましたが、この戦後版でもこけ猿の壺編が作られたようです。丹下左膳ものの第1作は伊藤大輔監督の『新版大岡政談』'28でやはり大河内傳次郎大岡越前守と丹下左膳の二役を演じたそうですが、当時も丹下左膳の虚無的キャラクターが一大ブームを巻き起こしたので、占領の終わった翌年さっそく丹下左膳のリメイクが作られるとはちゃっかりしたものです。山中貞雄の『丹下左膳餘話 百萬両の壺』の乗りを期待するとユーモアのかけらもない本作の悲愴な左膳にはあぜんとしますが、こちらがあってこその『餘話』だったのもよくわかりますし、『すっ飛び駕』の河内山宗俊が貫禄の名演とは言え丹下左膳の強力なキャラクターにはかないません。映画はごたごたした進行なので出来は『すっ飛び駕』の方が上なのですがそれでも大河内傳次郎丹下左膳だと言うだけでインパクトはこちらの方がはるかに絶大です。いやあ、映画って本当に変なものですね。