人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

裸のラリーズ( 続「ジャックス」)

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これは「ジャックスの世界」からの続き。ジャックスがフォーク・クルセダーズと共に当時全盛のグループ・サウンズともフォークとも異なる、アンダーグラウンド/オルタナティブロックの日本における先駆という点は既に指摘した。日本のビートルズでありストーンズヴェルヴェット・アンダーグラウンドでありドアーズとまで再評価された偉大なバンド。しかし活動中は学生バンド上がり(事実そうだった)でアマチュアに毛が生えた程度と軽視された。メンバーは、
早川義夫(ヴォーカル、ギター、ピアノ)
水橋春夫(リード・ギター)
・谷野ひとし(ベース)
木田高介(ドラムス、フルート、サックス、ピアノ、ヴィブラホン)
恐るべきファースト・アルバム「ジャックスの世界」は68年4月28日にA面、5月25日にB面が録音された。ドアーズのファーストが1週間で録音されたのを思い出させる。しかもジャックスのメンバーは早川と谷野が大学3年、木田と水橋が大学2年。平均年齢20歳未満で、内外の既存のロックから一切影響を受けない独創的な音楽を造ってしまった。リーダー早川の曲作りの能力が大きいが、通常のロックから逸脱したアンサンブルを奏でるメンバーの力量も職業的なスタジオ・ミュージシャンでは不可能だ。
結果的にジャックスの音楽は同時代のヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドアーズ、パールズ・ビフォー・スワイン、13thフロア・エレヴェイターズ、Canといった陰気な躁鬱ロックに近いものになった。評論家には高い評価を受け熱心なファンもついたが職業的にはとても引き合うほどにはならず、アルバム発売前に水橋が脱退。そこでジャックスを高く評価していた渡辺貞夫の縁で若手ドラマーNo.1のつのだ☆ひろを加入させ、木田がメロディ楽器にまわりセカンド・アルバム「ジャックスの奇蹟」が録音されたが、半数の曲は水橋がゲスト参加する代わり肝心の早川が参加拒否し、アルバム発売はバンド解散後の69年10月になった。

図版を掲載したラリーズのアルバムは現在輸入CDで入手できる。上から、
●Heavier Than A Death In The Family(推定70年代後半録音)
●Blind Baby Has Its Mothers Eye(推定80年代前半録音)
●Oz Days Live(オムニバス/73年8月リリース)