人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

フォーク歌手ニック・ドレイク

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 ニック・ドレイク(1949-1974)はビルマ(現ミャンマー)生まれのイギリス人シンガー・ソングライター。生前発表の3枚のアルバムはいずれも商業的成功をおさめなかったが没後20年を経て再評価され、70年代イギリス最高のフォーク・ロック・シンガーと目されるようになった。掲載図版は生前の全3作品。上から、
●ファイヴ・リーヴス・レフト(1969)
●ブライター・レイター(1970)
●ピンク・ムーン(1972)

 また、再評価に呼応して68-74年の未発表曲集「タイム・オブ・ノー・リプライ」(1986)、未発表曲とリミックス集「メイク・トゥ・ラヴ・マジック」(2004)の2枚がある。デモ・テープとはいえ前者は必携、後者もオリジナル・アルバムのアレンジャーが管弦アレンジをやり直したもので、第三者による安易なリミックス盤ではない。また、丁寧な選曲のベスト・アルバムもリリースされている。

 ドレイクの実家は豊かな商家で、進学先もケンブリッジ大学という、貴族と張り合えるくらいのブルジョア階級の子息だったわけである。
 当時のロック界はハード・ロックプログレッシヴ・ロックが最先端のモードだったが、実は第三の勢力があった。イギリス伝承歌をロック化するブリティッシュ・フォーク・ロックがそれで、フェアポート・コンヴェンション、ペンタングルを2大巨頭にその影響下のバンドが続出した。
 ドレイクは大学在学中にフェアポートのメンバーに認められ20歳でアルバム・デビューする。売れなかったが評価は悪くなかった。そこで問題が起った。彼は人前で歌えなかったのだ。鬱病が悪化し大学も中退した。セカンド・アルバムの録音では会話も満足にできないほどだったという。
 名盤2作を発表したにもかかわらずドレイクは生前から忘れられようとしていた。サード・アルバム「ピンク・ムーン」はバック・バンドも管弦アレンジもつけず、ドレイクの歌とギター、ピアノだけで録音された作品になった。全11曲、28分30秒。

 -きみはぼくが大地に倒れているのを見るだろう
 ぼくはこの町の寄生虫だからさ
 (「寄生虫」)

 ドレイクは引きこもり生活の一方、74年に素晴らしい4曲を録音し、活動再開の意欲もあった。だが同年晩秋に抗鬱剤の過剰摂取で急逝。バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」を聴きながらの臨終と伝えられる。