人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

渋沢孝輔詩集『漆あるいは水晶狂い』昭和44年(1969年)より

渋沢孝輔詩集『漆あるいは水晶狂い』

昭和44年(1969年)10月・思潮社
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「弾道学」

 渋沢孝輔

叫ぶことは易しい叫びに
すべての日と夜とを載せることは難かしい
凍原から滑り落ちるわるい笑い
わるい波わるい泡
波さわぐ海のうえの半睡の島
遙かなる島 半分の島 半影の島
喉につかえるわるい沈黙
猫撫で声のわるい呪い
血の平面天体図をめぐるわるい炎
きみは鋏のように引きちぎられて
わたしの
錠前がその闇のなかで静かに眠ることもなく
おまえはだれ鬼はだれわるいだれ
でもその木霊をすこしかしてくれ
わたしの中心の燃える円周となれ
涜神の言葉となってはじける歌
狂暴なサヴァンナで
有毒の花 癲癇の朝 首刎ねられる太陽の歌

(詩集『漆あるいは水晶狂い』より)

「水晶狂い」

 渋沢孝輔

ついに水晶狂いだ
死と愛とをともにつらぬいて
どんな透明な狂気が
来りつつある水晶を生きようとしているのか
痛いきらめき
ひとつの叫びがいま滑りおち無に入ってゆく
無はかれの怯懦が構えた檻
巌に花 しずかな狂い
ひとつの叫びがいま
だれにも発音されたことのない氷草の周辺を
誕生と出逢いの肉に変えている
物狂いも思う筋目の
あれば 巌に花 しずかな狂い
そしてついにゼロもなく
群りよせる水晶凝視だ 深みにひかる
この譬喩の渦状星雲は
かつていまもおそるべき明晰なスピードで
発熱 混沌 金輪の際を旋回し
否定しているそれが出逢い
それが誕生か
痛烈な断崖よ とつぜんの傾きと取り除けられた空が
鏡の呪縛をうち捨てられた岬で破り引き揚げられた幻影の
太陽が暴力的に岩を犯しているあちらこちらで
ようやく 結晶の形を変える数多くの水晶たち
わたしにはそう見える なぜなら 一人の夭逝者と
わたしとの絆を奪いとることがだれにもできないように
いまここのこの暗い淵で慟哭している
未生の言葉の意味を否定することはだれにもできない
痛いきらめき 巌に花もあり そして
来たりつつある網目の世界の 臨界角の
死と愛とをともにつらぬいて
明晰でしずかな狂いだ 水晶狂いだ

(詩集「漆あるいは水晶狂い」より)


 これも1960年代末の日本の現代詩のビッグバンのひとつに数えられる詩集です。「弾道学」は詩集巻頭詩、「水晶狂い」は詩集表題作で、さらに「漆」という表題作もありますが、難解さは同等です。この詩集は「現代詩の難解さもここまできたか」ということで大きな反響を呼びましたが、逸見猶吉の『ウルトラマリン』、伊東静雄の『わがひとに與ふる哀歌』が切り開いた屈折した喩法をさらに戦後詩を経由して推し進めたものでしょう。

 渋沢孝輔(1930-1998)はフランス文学者で、世代的には谷川俊太郎大岡信飯島耕一らと同期の詩人であり、この第3詩集『漆あるいは水晶狂い』の前に第1詩集『場面』を昭和34年(1959年)に、第2詩集『不意の微風』を昭和41年(1966年)に上梓していましたが、20代前半には作風を確立した同世代の詩人たちに遅れをとって、40歳目前の第3詩集でようやく独自の文体にたどり着きました。渋沢孝輔は以降、喉頭癌による苦痛に満ちた晩年の闘病詩集まで、この第3詩集の文体や発想を追求していくことになります。

 渋沢孝輔の詩は、手法的には象徴詩シュルレアリスムの折衷で、読者が意味の上で解読していくためには「島」「厳」「花」「水晶」といったキーワードに作者が隠した本来の意味を代入していくことになります。「夭逝者」とはランボーやラフォルグ、ロートレアモン渋沢孝輔が専攻としていたフランス象徴詩の夭逝詩人たちでしょう。そこで現れてくるのは「詩作の不可能性」というマラルメ的なテーマ、「詩による詩論」という仕掛けなのですが、そうした意味よりも文体の屈折による思考の錯乱の方が強く意図されているのは明らかで、この文体もまた1970年代以降の現代詩の一方の主流になっていくのです。