人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

堀川正美「新鮮で苦しみおおい多い日々」(詩集『太平洋』昭和39年=1964年刊より)

『太平洋 詩集 1950-1962』思潮社 ・昭和39年=1964年刊
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『堀川正美詩集 1950-1977』れんが書房新社・昭和53年=1978年刊
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(堀川正美<昭和6年=1931年2月17日生~>)
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新鮮で苦しみおおい日々

堀川正美

時代は感受性に運命をもたらす。
むきだしの純粋さがふたつに裂けてゆくとき
腕のながさよりもとおくから運命は
芯を一撃して決意をうながす。けれども
自分をつかいはたせるとき何がのこるだろう?

恐怖と愛はひとつのもの
だれがまいにちまいにちそれにむきあえるだろう。
精神と情事ははなればなれになる。
タブロオのなかに青空はひろがり
ガス・レンジにおかれた小鍋はぬれてつめたい。

時の締切まぎわでさえ
自分にであえるのはしあわせなやつだ。
さけべ、沈黙せよ。幽霊、おれの幽霊
してきたことの総和がおそいかかるとき
おまえもすこしぐらいは出血するか?

ちからをふるいおこしてエゴをささえ
おとろえてゆくことにあらがい
生きものの感受性をふかめてゆき
ぬれしぶく残酷と悲哀をみたすしかない。
だがどんな海へむかっているのか。

きりくちはかがやく、猥褻という言葉のすべすべの斜面で。
円熟する、自分の歳月をガラスのようにくだいて
わずかずつ円熟のへりを噛み切ってゆく。
死と冒険がまじりあって噴きこぼれるとき
かたくなな出発と帰還の小さな天秤はしずまる。

(詩集『太平洋 1950-1962』思潮社 ・昭和39年=1964年刊より)

◎堀川正美

 堀川正美(ほりかわまさみ、昭和6年=1931年2月17日生~)は、日本の詩人。男性。東京生まれ。早稲田大学文学部露文科中退。1954年水橋晋、江森國友、三木卓らと『氾』を創刊。1961年『現代詩』編集委員。64年詩集『太平洋』を発表。71年、詩集『枯れる瑠璃玉』で第1回高見順賞候補。吉増剛造はじめ多くの詩人に影響を与えたが、1979年の『詩的想像力』以降は執筆活動から離れた。

◎著書

『太平洋 詩集 1950-1962』思潮社 1964
『枯れる瑠璃玉 詩集1963-1970』思潮社 1970
『堀川正美詩集』思潮社 現代詩文庫 1970
『現代詩論 4 (谷川雁,堀川正美)』晶文社 1972
『堀川正美詩集 1950-1977』れんが書房新社 1978
『詩的想像力』小沢書店 1979
(ウィキペディアより)

 この堀川正美(1931-)の第1詩集『太平洋』1964からの一篇は戦後現代詩屈指の傑作として揺ぎない評価を得ていますが、現代詩に興味のない人にはさっぱり知られていない詩人でしょう。数年前まではウィキペディアにすら載っていなかった詩人です。ですが詩の世界では絶大な尊敬を得ている詩人でもあります。詩集『大平洋』はヴォリュームも内容も巨大なスケールを誇り、日本の現代詩でも孤立した巨峰といえる戦後詩の伝説的古典です。この詩人は寡作で第2詩集『枯れる瑠璃玉』1970、第3詩集(全詩集)『堀川正美詩集』1978と詩論集「詩的想像力」1979の後は40年あまり沈黙を守っています。ハート・クレイン、ディラン・トマスなどの英米モダニズムの夭逝詩人に影響を受けた人ですが、事実上、自らも詩的夭逝を選んだ人でもありました。外国語的(翻訳詩的、いわゆる欧文脈的)な比喩や文体が好悪や評価を分けるかもしれませんが、詩誌「荒地」の詩人、ことに鮎川信夫の詩法が現代詩に定着し、鮎川の「繋船ホテルの朝の歌」(昭和24年=1949年)に見られる暗喩(メタファー)の詩的技法が頂点に達したものと見ることができるのがこの「新鮮で苦しみおおい日々」です。

 この「新鮮で苦しみおおい日々」は初出誌をつまびらかにしませんが、「繋船ホテルの朝の歌」の発表翌年から堀川正美の詩作発表は始まっているので、1950年代~1960年代の日本の現代詩=戦後詩は一方に鮎川信夫、他方に『僧侶』(昭和33年=1958年)の吉岡実を据え、背景に室生犀星西脇順三郎金子光晴三好達治ら長老詩人たちの旺盛な詩業を置いて喩法を確立したとも言えます。堀川の場合、第1詩集の刊行は30代半ばと遅れたものの、『太平洋』は第2詩集『枯れる瑠璃玉』や第3詩集(全詩集)『堀川正美詩集』の新詩集分と較べると詩集3~4冊分の大冊なので、鮎川に代表される戦後詩の詩的技法をあまりに強く第1詩集で達成したために寡作と絶筆が早く訪れたとも思えるので(『枯れる瑠璃玉』や『堀川正美詩集』の新詩集分では喩法のミニマル化、短詩化が目立ちます)、それが堀川正美を戦後詩から出発した世代のもっとも優れた代表的詩人にもしていれば、堀川より10歳あまり年長で戦前すでにモダニズム詩から出発していた鮎川信夫吉岡実よりも柔軟な発展を欠き、早く筆を折る結果になったのは惜しまれてなりません。また40年来新作を発表しない堀川が未発表のまま詩作を続けているとすればその内容は予測もつかないので、沈黙によって現役詩人としての存在感を保っているとも言える稀有な詩人でもあります。それが「新鮮で苦しみおおい日々」の延長上にある詩なのか、それともまったく一変した作風なのか、40年あまり前の全詩集『堀川正美詩集』と全批評集『詩的想像力』を持ってしても堀川正美の詩業が残した詩的可能性はまだ完結していないのです。

(旧稿を改題・手直ししました)