プロレタリア文学運動は日本では小説よりも詩が先行したという事情もあり、アナーキズムとコミュニズムにともに立脚する詩人も多い。大阪の詩人・小野十三郎(1903-1996)もそのひとりで、第一詩集「半分開いた窓」1926のダダイズムから第二詩集「古き世界の上に」1934にはコミュニズム詩人への転換がある。そして画期的な第三詩集「大阪」1939が書かれる。
『葦の地方』 小野 十三郎
遠方に
波の音がする。
末枯れはじめた大葦原の上に
高圧線の弧が大きくたるんでいる。
地平には重油タンク。
寒い透きとおる晩秋の陽の中を
ユーファウシャのようなとうすみ蜻蛉が風に流され
硫安(りゅうあん)や曹達(ソーダ)や
電気や、鋼鉄の原で
ノジギクの一むらがちぢれあがり
絶滅する。
(詩集「大阪」より)
一見、格別に作者の主張もない叙景詩に見える。だがよく読めば、工業地帯を見据える詩人の視点こそがこの詩の重みとなっているのがわかる。
『早春』 小野 十三郎
ひどい風だな。呼吸がつまりそうだ。
あんなに凍っているよ。
鳥なんか一羽もいないじゃないか。
でもイソシギや千鳥が沢山渡ってくると言うぜ。まだ早いんだ。
広いなあ。
枯れてるね。去年もいま頃歩いたんだ。
葦と蘆とはどうちがうの?
ちがうんだろうね。何故?
向うのあの鉄骨。どこだ。
藤永田造船だ。駆逐艦だな。
澄んでるね。
荒れてるよ。行ってみよう。
(詩集「大阪」より)
表現方法には友人・草野心平との類似が見られるが、発想はまったく異なる。軍部の検閲をくらませる、叙景詩のかたちをとった社会批判は戦時中でもぎりぎりのものだった。
『明日』 小野 十三郎
古い葦は枯れ
新しい芽もわずか。
イソシギは雲のように河口の空に群飛し
風は洲に荒れて
春のうしおは濁っている
枯れみだれた葦の中で
はるかに重工業原をわたる風をきく
おそらく何かがまちがっているのだろう
すでにそれは想像を絶する
眼に映るはいたるところ風景のものすごく荒廃したさまだ。
光なく 音響なく
地平をかざる
強烈な陰影。
鉄やニッケル。
ゴム・硫酸・窒素・マグネシウム
それらだ。
(詩集「大阪」より)