人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

立原道造『はじめてのものに』

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立原道造は、現代詩の人気詩人のなかでも、私見ではもっとも評価の難しいひとりになる。立原のファンがその魅力とするところを、反対者にはそれこそが批判の核心に挙げるからだ。そして支持者も反対者も同一の点で見逃す面がある。つまり立原を読もうとすれば他人の意見はほとんど参考にならないのだ。
実際に作品を読んでみよう。第一詩集の巻頭を飾る代表作、『はじめてのものに』。

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰は悲しい追憶のように 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

その夜 月は明かったが 私はひとと
窓に凭れて語りあった(この窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のように 光と
よくひびく笑い声が溢れていた

-人の心を知ることは…人の心とは…
私は そのひとが蛾を追う手つきを あれは 蛾を
捕えようとするのだろうか 何かいかぶしかった

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と…また幾夜さかは 果して 夢に
その夜習ったエリザーベトの物語を織った
(詩集「萱草に寄す」1937より)

-やっぱりぼくには荷が重いな、と思ってしまう。立原道造堀辰雄の愛弟子で、堀は芥川龍之介の愛弟子、芥川は夏目漱石の愛弟子という文学エリートの直系だ。この詩も軽井沢の芸術家サロン(地異は地震の言い替え)の雰囲気を描いたもので、それはまあいい。
書き写してみて、快感がほとんどない。これまで紹介した詩人の詩はどれも言葉に自然な流露感があり、たとえやや難解な詩でも表現と内容がぴたりと一致していた。立原の詩には表現から喚起されるものが着想から解離した曖昧さがあり、支持者はそれを甘美な抒情性として評価してきた。
たしかにそれを魅力とすれば、立原は独自のやり方で新しい抒情詩の方法を切り開いた第一人者には違いない。今回1回とはせず、今後の宿題にさせてください。

立原道造(1914-1939)は日本橋生まれの詩人。東大在学中から堀辰雄三好達治に才能を認められ、学生時代から新進詩人中でもっとも注目される存在となった。1937年に「萱草に寄す」「暁と夕の詩」の2詩集刊行。結核による喘息発作のため25歳で逝去。