先に2回を掲載して、辻潤の生涯とその人物像には興味を持ってもらえることがわかった。確かに辻に匹敵するような窮死作家はただ一篇の長篇私小説「根津権現裏」1922(新潮文庫で復刊)で名を残す藤沢清造(1889-1932、公園で凍死)くらいだが、詩人の石川善助は泥酔して転落死、尾形亀之助は餓死寸前を発見されたが手遅れ、生き残り組の川崎長太郎や稲垣足穂だって戦時末期にはちり紙にしょうゆを塗って食べたり草をむしって飢えをしのいだりしていたのだ(そして戦後にようやく脚光を浴びた)。以上、日本のダダの皆さんでした。
日本でいちばん神格化されている西洋画家はヴァン・ゴッホだと思うが、公平に評価すれば美術史のゴッホの地位はマイナー・ポエット(個性派、鬼才)で、ルノワールやセザンヌのようなメジャー・ポエット(大家、師範)ではないだろう。だが病苦や貧窮、無理解や孤独と闘いながら、自分独自の芸術を探求し続けたゴッホを、日本人は大家以上に尊敬する。
それがどこか日本のダダに通底しているのではないか、と思うのだ。ゴッホの作品歴に双曲性障害(躁鬱病)の消長が決定的な役割を果しているのは書簡や伝記からもわかる。周期的に多作になり、衝動的な(しかし致命的ではない。ゴッホは腹を撃った。休みたかったのだ)自傷行為に走るのはそれなりに一貫してはいる。だが人はゴッホから学ぶことはほとんどないだろう、と思われるのだ。
この連載(!)は今後、西洋のダダイズム運動についてなるべく易しく丁寧に解説しつつ、本来の主人公たる辻潤の著作・思想・生涯を対応させていくつもりだが、疑問点があったら遠慮なくどうぞ。そのほうがぼくも早飲み込みを避けられるのでありがたい。前回概論的に「ダダイズムはシュルレアリスムに発展し~コミュニズムの同伴者となる」「中学生には荷が重すぎるだろうか」と書いたら「中学生でなくても荷が重すぎます」とさっそくHN「胸は峰不二子」さんからコメントをいただいた。あれは見出しの列挙みたいなものですから、今後はもっとじっくり解説していきます。さて-
残りの紙幅も少ないので、ひとつ「これだけは」という指摘をして今回のまとめとし、次回へ繋げたい。
西洋のダダイストで窮死した人はいない。ゴッホのような例外を除いて、芸術家はみんなブルジョワ階級の子息だった。貧乏人はダダイストにもなれなかった。