人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

富永太郎『癲狂院外景』ほか

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全36篇、60ページほど。それがこの詩人の全作品になる。詩集は1924年10月の『秋の悲歎』から翌年の死去までを完成作、それ以前を習作とする。確かに初期の作風・文体の多彩さは才能の大きさより不安定さを感じさせる。だが中にも魅力的な佳作がいくつも見出せるのだ。

『橋の上の自画像』

今宵私のパイプは橋の上で
凶暴に煙を上昇させる。

今宵あれらの水びたしの荷足(にたり)は
すべて昇天しなければならぬ、
頬被りした船頭たちを載せて。

電車らは花車の亡霊のように
音もなく夜の中に拡散し遂げる。
(靴履きで木橋を踏む寂しさ)
私は明滅する「仁丹」の公告塔を憎む
またすべての詞歌集(アントロジー)とカルピスソーダ水を嫌う。

哀れな欲望過多症患者が
人類滅亡の大志を抱いて
最期を遂げるに間近い夜だ。

蛾よ、蛾よ、
ガードの鉄柱にとまって、震えて、
夥しく産卵して死ぬべし、死ぬべし。
咲き出た交番の赤ランプは
おまえの看護(みとり)には過ぎたるものだ。
(「富永太郎詩集」1927年刊より・1924年7月作)

これは典型的なジュール・ラフォルグ(仏1860-1887)調で、大正の夭逝詩人・三富朽葉(1889-1917)の流れを汲む。三富-富永-中原というシニカルな抒情詩の系譜がある。

癲狂院外景』

夕暮の癲狂院は寂寞(ひっそり)として
苔ばんだ石塀を囲らしています。
中には誰も生きてはいないのかもしれません

看護人の白服が一つ
暗い玄関に吸い込まれました。

むこうの丘の櫟林の上に
赤い月が義理で上りました
(ごくありきたりの仕掛けです。)

青い肩掛のお嬢さんが一人
坂を上ってきます。
ほの白いあごを襟にうづめて、
唇の片端が思い出し笑いに捩れています。

-お嬢さん、行きずりのかたではありますが、
石女(うまずめ)らしいあなたの眦を
崇めさせてはいただけませんか。
誇らしい石の台座からよほど以前にずり落ちた
わたしの魂が跪いてそう申します。

-さて、坂を下りてどこへ行こうか…
やっぱり酒場か。
これも、何不足ないわたしの魂の申したことです。
(1923年7月作)

この方向で完成する可能性もあった。だが富永は『秋の悲歎』に向かった。