人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

千家元麿『わが児は歩む』

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 千家元麿(1888-1948)は埼玉・静岡・東京知事を歴任した華族庶子。高潔柔和な人柄と素朴な作風で愛された詩人だった。

『わが児は歩む』 千家 元麿

吾が児は歩む
大地の上に下ろされて
翅を切られた鳥のように
危く走り逃げて行く
道の向うには
地球を包んだ空が蒼々として、
日はその上に大波を蹴散らして居る
風は地の底から涼しく吹いて来る
自分は児供を追ってゆく
道は上がり下り、人は無関係に現われ又消える
明るく、或いは暗く
景色は変る。

わが児は歩む
地の上に映った小さな影に驚き
むやみに足を地から引離そうともち上げて
落ちているものを拾ったり、捨てたり
自分の眼から隠れてしまいたい様に
幸福は足早に逃れて行こうとする
われを知らで、
どこまでも歩いて行く。その足の早さ、幸福の足の早さ。
(…)
わが児は歩む、
誰にでも親しく挨拶し、関係のある無しに拘らず
通る人には誰にでも笑顔を見せる。
不機嫌な顔をした女や男が通って
彼の挨拶に気がつかないと
彼は不審相に悲しい顔付をして見送る
がすぐ忘れてしまって
嬉々として歩んでゆく。幸福の足の危さ。
幾度もつまづき、
ころんでも汚した手を気にし乍らますます元気に一生懸命にしっかり
歩こうとする。

未だ小学校へ入らない
いたずら盛りの汚ない児供が
メンコを打ち乍ら群れて来る。
忽ち彼はその中に取り囲れる。
皆んなから何か質問される
わが児は横肥りの小さな体で真中に一人立って小さい手をひろげて
小供を見上げて何か告げて居る
小供等は好奇心と親切を露骨に示しメンコを彼に分けてくれる。
何にでも気のつく小供等は彼の特色を発見して叫ぶ
「着物は綺麗だが頭でっかちだ」

かくして尚も先へ先へと歩み行く
わが児をとらえて抱き上ぐれば
汗だらけになり、上気して
観念した様に青い眼をじっと閉じて力がぬける
自分は驚いて幾度も名を呼びあわてて木蔭へつれこむそこにはひやひやと
火をさます風が吹いて来て、
彼は疲れ切って眠り入る。
一生懸命に歩き
一生懸命に活動したので、
自分の眼には涙が浮ぶ。
 (詩集「自分は見た」1918より)

 「わが児」はのちビルマで戦死、後を追うように千家夫妻も病没した。