人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

復刻・千田光全詩集(2)

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『赤氷』

山間から氷の分裂する音は河の咽喉を広め始めたと共に氷流だ。ドッと押し寄せる赤氷だ。
新国境の壁に粉砕される赤氷だ。赤氷から生えている掌形の花。
山間に於ける数年間の閉塞と雖(いえど)も、脂の乗った筋肉のような茎だ。が然し、新国境の壁には何ものも咲かせざる如く一滴の水以下だ。
赤氷よ新国境の壁を貫け、太陽の背には更に新らしい太陽の燃焼だ。燃焼だ。
 (「詩神」1930年4月)

『KANGOKU NO KABE』

石膏の壁に肉薄する皮膚は強固だ。

壁に封じられた言葉は暴力の開始だ。

摩擦する皮膚と壁。

皮膚の冷却は壁の貫通だ。愛の汚物は傷孔の如くに、消えはしない。

透明なる壁を持った人間には透明なる壁を与えよ。
 (「詩神」1930年4月)

次の2篇は北川冬彦主宰の創刊誌を飾った。

『肉薄』

沛然たる豪雨の一端が傷口のような柱脚を繰り返して行った。そうしてとりとめのない雲が二三と、太陽は壁の中へ墜ちかかっていた。
突如、台風だ、怒号だ、かくて群集は建築場の板塀に殺到した。
柱脚の真中から腐った人間の足が硬直し、逆さに露出しているのだ。
群集に群集する群集。原野の炎は群集の眼に拡大した。彼等に驚くべき沈黙が伝わるや彼等は死体を痛快なる場所へ持込んで行こうというのだ。痛快なる場所へ!
 (「時間」1930年4月創刊号)

『失脚』

私は運河の底を歩いていた。この未成の運河の先きには必ず人間の仕事がある。私はただその目的に急いでいる。
太陽は流れて了った。それからどの位歩いたか判らない。運河の両壁は次第に冷却しはじめた。地上は未だ明るいらしい。時たま猛烈な砂塵が雲を崩して飛び去った。私は突然この水の無い運河の底で恐怖の飛躍を感じた。私は用意を失っている。私はもう駄目だ。
私の行く手僅かの地点で歓喜の声が震動しているのだ。私はただ走ることによって慰ぐさめるより仕方がない。私の背後には大海の水が豪楽と迫っているに違いない。私は走った。走っているうちに、最早や動かすべからざる絶望が墜ちてきた。逃げる私の前方にあたって又も海水の響きは迫ったのだ。私はもの悲しい悲鳴を起しながら昏倒した。海水が私の頭上で衝突するのを聴きながら。
 (「詩・現実」1930年6月創刊号)