今回の前置き。
「はじめまして。難解に感じられるとしたら筆者の筆と考察の未熟によるものですが、高橋新吉自身に明快な読解を拒むものがあるとも思います。
高橋はぼくが大学在学中に亡くなったので、長老詩人の晩年と逝去を意識したのひとりです。30年あまり読み続けていても、個々の詩人について十分な理解を得られたとは申せません。
「戯言集」には精神治療と文学の問題が実存的に扱われています。通常、患者自身による記録した例はないのです(同時代のフランスのダダイスト、アントナン・アルトーなどが珍しい例外です)。これも現実に精神障害者である筆者には切実な課題です」
『戯言集』
16
私が嘗めた苦しい様々の出来事 それを他人に知って貰ったからと言って 今になって何になろう
私の今の苦しみが 減るわけのものでもない
17
私はあまりに甚だしい無理な生活をしつづけて来ている 目はかすみ 手足は痺れているのだ
私は時に斯う思う事がある 二つの目をくり抜いて そこへ投げて鼠に食わせてやりたいものだ すると盲目になった私を恐れるものは無くなるであろう それで以て私は湯に入ったり 杖をついてでも道を歩いたりする事も出来る 日光に浴する事も 人と話をする事も許されるであろうと 又両手を切断してでもかまわない 今の此の二畳敷内の牢生活よりは恵まれた 報いられた生活を営むことか出来るだろうと
18
私よりも困難な忍苦に充ちた生活を 生きた人間があるであろうかと 誰しも思うであろう
本当にそれは嘘ではないのだ 事実だ
だが楽な生活 朗らかな生活 快ろよい生活も 困難な忍苦に充ちた生活と別に違ってはいないのだ
19
人間は苦労をしなければならない 墾難に堪えなければならない
そうでないと ぼやぼやと死んでしまう事になるのだ
20
私は花を見ても美しいとは思わない
私は只人間が美しい 美しい心を持った人 美しい肉体を持った人を私は痛切に恋しとうている
私が思うのに 美しい肉体の人でないと 美しい心を持っている筈はない しかし 美しいとか きたないとか 人各々の主観だ それで私は 根も葉も花も美しいと思った事はない
(以下次回へ)