今回の前書き。
「こんにちは。高橋新吉の場合は、ほとんど正方形の棺桶に閉じ込められたような3年間だったと思います(高橋に限らず、当時の精神病の入院治療自体がそういうものだったわけですが)。完全に生気を失い、廃人同様になったら治療の完了ということになります。高橋もそこまで人格を破壊されたと認められたからこそ退院できたのでしょう。そこから「戯言集」を書き上げるまでの高橋の状態、精神的エネルギーはやはり尋常ではなく、社会的適応性を装った狂気が新たに芽生えたとも思えます。「戯言集」の中には多くの矛盾も誇張も混在していますが、どこまでが演技でどこが本音かも分けられない。真実性は疑えません。細かく読めば読むほど厄介な詩集だと思います」
『戯言集』
32
棄てられし 白い紙面の悲哀を
子供は知らない
33
子供を養い育てる事
此れは誠に面白い道楽だ
此れ以上に面白い道楽が
此の世にあろうとは思えない
34
涙を流して喜びあう事
此れ以外に世の中に何がある
或は涙を流して悲しみあう事でも好い
私は涙の壺の中に居る そして一人で麦藁が焼けるように 身を燃やして泣いているのだ
35
生れたばかりに私は 生きてゆかなければならない
生れなかった方が どれ丈よかったか知れない
生きている事は叩かれる事であり 圧し潰される事であり 馬鹿にされる事である
36
生きている事は 死んでいる事よりも不幸な事だ
それで君は今生きている
それで此れより以上の不幸が 君に起りっこない
生きている事は最大不幸だ
37
埋められた棺桶の中で目を覚ました男
其の男は私の経験した心を嘗めたであろう
そして死んで行ったであろう
私も此の牢の中で朽ち果つるであろうか
此の牢の中で 今夜にでも死ぬかも知れない
しかし死なぬかもしれぬ それで私は此の牢の中で死にたくないが故に 鉛筆の屑をなめながら之を書く
トウシビの灯をかき抱くようにして 私は自分の生命をかき抱いている だが此んな事を書く事は 私を此の牢から出す障害と却ってなるかもしれない
自分の頭が信ぜられぬ程悲惨な事があろうか 自分で自分を疑わなければならない
(以下次回へ)