つい先日ヴェルナー・シュレーターの1年遅れの追悼をしたが、昨夜ネットショップでCD物色中ユーザーレビューに目を疑った。キャプテン・ビーフハートについてだが「83年に音楽界を引退、モハービ砂漠のアトリエで画業に専念」それは知ってる。「2010年には浮き世も引退」えっ、そうだったの?
調べてみた。難病で入院治療がつづいたが12月17日に逝去、享年70歳(1941-2010)。知ろうとしてもその頃は病院の隔離室にいたし、入院中は新聞なかったし、テレビで報道される人ではない(その前の入院中には忌野清志郎とマイケル・ジャクソンが亡くなった)。退院後にはドン・ヴァン・ヴリート(本名)の死去は旧聞になっていただろう。
まあ引退後は一切取材にも応じず、復帰する可能性はまったくないと考えられていた人。それにプレスリーやJBのような国民的歌手とは正反対の人でもある。
未知のかたに説明すると、ビーフハートはハウリン・ウルフの流れをくむ正統的ブルース歌手で、その力量は凄まじい。だが決してポピュラーにはなり得ない狂暴さが常にあって、没後急に評価が変わることもないだろう。
図版の説明からいこう。上は2011年6月に出たインタビューとドキュメンタリーCD+DVD。追悼企画がインディーズ・レーベルだというところが泣ける。
15枚ほどあるビーフハートの最高傑作は文句なしに次の2作だろう。
中「トラウト・マスク・レプリカ」'Trout Mask Replica'1969
下「リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー」'Lick My Decalls Off,Baby'1970
(「シャイニー・ビースト」も捨てがたいが)。
ビーフハートのアルバムはスタジオ・ミュージシャンではなく固定バンドによるもので、名義も「キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンド」になっている。このバンドで録音もしツアーもこなすのだが、メンバーの回想録によるとギャラはほとんどビーフハートがピンハネし、メンバーは実家の仕送りに頼っていた。その上壮絶なメンバーの酷使があった。
一度でも彼らの音楽を聴けばわかるが、複合変拍子・多重調性・変則音階が各楽器に振り分けられ、同時進行で襲いかかってくるのだ。合宿と徹夜は日常。ギャラの件も含め「おれが使ってやってんだ。文句言うな」という態度だったという。
それでもなお愛される人徳があったらしい。冥福をお祈りする。