人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

伊藤大輔監督「御誂次郎吉格子」

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「おあつらえ・じろきち・ごうし」と読む。「お誂え」には映画検閲への皮肉がこめられているそうだ。サイレント時代の日本の時代劇映画は血気盛んなものだった。アクション映画でもあり反体制的なものだった(およそ半世紀後のロマンポルノのように)。制作者側の指向と映画ファンの嗜好がサイレント時代の時代劇では一致していた、ということになる。

なかでも傑出した才気で革新的なヒット作を次々と世に問い「時代劇の父」と呼ばれる存在になったのが監督・伊藤大輔(1898-1981・愛媛県生れ)で、のちに映画界を担う若手・ファンのほとんどがサイレント時代の伊藤映画に心酔したという。大河内傳次郎と組んだ「丹下左膳」も「鼠小僧次郎吉」も伊藤映画だ。
だがトーキー以後はスランプが続いた。尊敬されてはいたが過去の存在だと見られていた。なにより痛かったのが、サイレント時代の作品の上映フィルムがことごとく散帙しており、若い映画ファンには伊藤神話が確かめようないことだ。

伊藤大輔の復活は「王将」1948のヒットから始まり、脚本家としても「眠狂四郎」「座頭市」に関わる等、1972年の引退作品まで再び存在感を示す。
そしてほとんど諦められていたサイレント時代の傑作も「忠治旅日記」(第三部)1927、そして「御誂次郎吉格子」1931が発見され、当時の伊藤大輔は本当に素晴らしい青年監督だったことがようやく認識された。
で、「御誂次郎吉格子」とはどんな映画か?

江戸を荒らした鼠小僧次郎吉(大河内傳次郎)が上方に逃亡する。船中で江戸で縁のあった遊女お仙(伏見直江)と再会し、大阪のお仙の兄・仁吉(高瀬實乗)がお仙を抵当に借金をしているのを解決することを請け負う。派手なアクション・シーンがドラマの展開ごとに挟まれる。
仁吉は代官の重吉の手下になっており、病床の父をかかえた可憐な少女・お喜乃(伏見信子)を追い詰めるために代官の命令通りお喜乃の父を殺害する。
代官を殺害しお喜乃を救った次郎吉は仁吉の手下たちを斥けながら館に籠城、提灯に完全に包囲され手縄を覚悟するが、次郎吉の心がお喜乃に移ったと知ったお仙は「一生忘れないようにしてあげる」と屋根から館の裏の川に身を投げる。提灯は川に集まる。逃走する次郎吉。数年後の次郎吉の刑死をしるした字幕で映画は終る。
短縮版59分。もっと見たかった。