ようやく今回で10枚組DVDセット『名作映画 サイレント劇場』(コスミック出版)をひと通り観終えましたが当然これも現存していて何らかの形で観ることのできる日本のサイレント映画の牛尾の一毛程度、しかもこの10枚組には名作・傑作と定評あるものは含まれていないのですが、それでも十分面白い作品があって日本映画の底力を堪能する思いでした。これまで観たことのある日本のサイレント時代の映画は監督では小津安次郎の現存作品17本、うち3本は短縮版(『和製喧嘩友達』'29、『大學は出たけれど』'29、『突貫小僧』'29)で、1本は冒頭と結末が欠損しており脚本から起こした字幕で補ってある修復版ですが(『母を戀はずや』'34)、小津のように監督初期のサイレント作品34本中半数の17本が現存しリマスタリングされてニュー・プリントもあればDVD化もされ、しかも13本もほぼ完全版で残っているのは例外的なのです。これは小津の監督デビューがトーキー移行期でサイレント作品といっても大半は'30年代作品であり、同時代評価も高くフィルムが残されていて、さらに小津は生涯松竹専属の看板監督でデビュー作(散佚)が時代劇だった以外現代劇しか作らなかったと有利な点に恵まれていたのもあり、さらに評価の高まりから世界的にフィルムが探索されたのもあります(『母を戀はずや』はロシアで上映用プリントが発見されました)。小津のサイレント作品は秀作快作佳作揃いですが小津のサイレント作品現存17本全部を観てもサイレント時代の日本映画は小津の作り出した'30年代松竹蒲田の作品傾向の一端しかわかりません。溝口健二の場合'23年監督デビューでサイレント作品を80本以上作り早い時期から高く評価されながらほぼ完全版に近い現存作品はサイレント時代の終わり頃の2作きり、短縮版や断篇すら数本しか残っていません。溝口は日活出身ですが日活の各地撮影所を転々としており作風の変遷も激しかったらしく、時代劇から怪奇映画、歌謡映画、コメディ、メロドラマ、傾向映画まで何でも撮ったのが文献から判明していて現存作品のあまりの少なさが惜しまれますが、日活は古いフィルムはがんがん廃棄する会社だったようですし、溝口の場合は高い評価がフィルムの残存につながらなかった不運がありました。ほとんどの監督が溝口同様消耗品のように映画を作らされていたので、その事情は松竹蒲田の小津でも変わらず、溝口や小津は戦後に大成して国際的な評価を得ましたがフリッツ・ラング('19年デビュー)のようにサイレント作品15作中最初の2作以外現存、ヒッチコック('25年デビュー)のようにサイレント作品10作中第2作以外現存、というほどサイレント期の作品もほぼ全貌がわかるとは言えません。D. W. グリフィスのサイレント長編は'14年~'29年の間に27作ありますが'18年の2作、'25年の1作が散佚しています。またグリフィスの弟子シュトロハイムの長編8作のうち世界的にヒットした第2作『悪魔の合鍵』'20が完全散佚、最高傑作と名高い第7作『結婚行進曲』'28がアメリカ本国では第1部しか公開されずヨーロッパと日本でのみ第2部も公開されるも第2部は散佚とは8作しか作品がないだけに痛く、それでもグリフィスと同時代のヒット作監督ジョージ・ローン・タッカーなどは'13年の初長編から急逝によって遺作となった'21年までの長編11作のうち現存しているのは'13年の初長編『暗黒街の大掃蕩 (Traffic in Souls)』だけ、最大のヒット作でグリフィスを抜いたと日本でも評判を取った遺作『ミラクルマン』'21すら3分弱の断篇しか残っていないのに較べるとまだしもでしょう。今回は極端に短い2篇の断篇作品から観始めます。なお音楽記事でアルバム名は『』、曲名は「」で区別しているようにここでも長編映画は『』、短編映画は「」で区別しました。
●2月3日(土)
「水戸黄門漫遊記(続水戸黄門)」(日活太秦撮影所'28)*16min(オリジナル220min), B/W, Silent
公開昭和3年(1928年)4月15日
監督・池田富保
原作・池田富保
脚色・池田富保
撮影・井隼英一、中西与之助
出演・山本嘉一、河部五郎、大河内傳次郎、松本泰輔、酒井米子、梅村蓉子、岡田時彦、尾上華丈
○あらすじ(DVDパッケージより) 助さん、格さんを従えて水戸のご老公が訪れたのは、高松城下。しかし、民衆の殿様に対する不満が爆発寸前だった。天下の副将軍水戸黄門がとり行う世直しとは !
*
「忠魂義烈 實録忠臣蔵」(マキノ・プロダクション御室撮影所'28)*16min/63min('68年復源版) : https://youtu.be/tHIoOKn3r8k (オリジナル180min), B/W, Silent
公開昭和3年(1928年)3月14日
監督・マキノ省三
脚本・山上伊太郎、西条照太郎
撮影・田中十三
監督補・秋篠珊次郎
出演・伊井蓉峰(大石内蔵之助)、諸口十九(浅野内匠頭)、市川小文治(吉良上野介)、勝見庸太郎(立花左近)、月形龍之介(清水一角)、中根龍太郎(松野河内守)、嵐長三郎(脇坂淡路守)、片岡千恵蔵(服部一郎右衛門)、牧野正博(大石主税)
○あらすじ(DVDパッケージより)「日本映画の父」と称されるマキノ省三監督の忠臣蔵。編集中に大半のフィルムを焼失し、本作では「松の廊下」「吉良邸討ち入り」が中心となるがマキノ省三の映像美学を十分に堪能できるだろう。
○解説(キネマ旬報日本映画データベースより) 牧野省三生誕50周年記念のオールスターキャストの大作。監督はマキノ省三。主演の大石内蔵助に新派の伊井蓉峰、吉良上野介に市川小文治があたった。今作編集中にフィルムが燃焼、牧野本宅ともに大量のネガフィルムが消失した。残存フィルムを元に再構成して完成させた。
○あらすじ(同上) 元禄十四年。播州赤穂の城主浅野内匠頭は殿中松の廊下において吉良上野介を斬りつける。内匠頭は即日切腹・お家断絶の沙汰が下る。赤穂城内では城と共に討死するが、城を明け渡すか議論が続いた。家老大石内蔵助は城を明け渡す断を下す。その後大石は山科に居を構え、遊蕩にふけると見せてお家再興を計った。野に下った藩士たちは密かに成就早かれと待機した。浅野家再興を志す願いは破れ、大石は妻子をその郷里に帰し、長男主税をつれて江戸へ下る。そして元禄十五年十二月、大石以下は周到な計画のもとに吉良邸を襲撃し見事に上野の首をあげ主君の眠る泉岳寺に引揚げ、墓前に仇討の報告をしたのだった。
この2篇は大長編のほんの断篇でしかないので比較しつつ感想文も一緒にまとめたいと思います。もっとも断篇といっても性格はかなり異なります。「水戸黄門」はコスミック出版版では「水戸黄門漫遊記」となっており、ディスクプラン版は「続水戸黄門」、これはデータを調べると公開年当時には『續水戸黄門』の題だった長編作品らしくディスクプラン版はそれに合わせていますが(ディスクプラン社の「日本名作劇場」がすべて原題に忠実とは言えず、『建國史 尊王攘夷』は単に『尊王攘夷』となっていますし、『忠魂義烈 實録忠臣蔵』も単に『実録忠臣蔵』です)、プリント自体は「水戸黄門漫遊記」とタイトルが出てきます。オリジナル220分から16分とはどんなものかと観てみると、路傍で侍に苛められたと泣いて仲間の相棒に嘆いている小汚い男がいる。「本当に民の為を思つてくれる殿様なら/おいらのような雲介でも情けをかけてくれるものぢやないか」雲介、つまり駕籠かきが下賤な奴めと八つ当たりされたわけです。通りかかった水戸黄門ご一行、「まことお主の言ふ通りぢや/これを藥代にしなされ」と小判を渡す。ここまでが前半。後半は行商人の父娘が侍に叱られている。これから高松城の殿様が通る、早くどけ。娘が父の持病の発作で休ませて下さいと懇願、そこに水戸黄門ご一行が来て侍を諫めるが生意気な爺め、縛ってやる。ほう、やりなされ、ほれ、助さん格さんも。縛られる黄門一行、父を介抱する娘。ついに殿様行列が通りかかり、報告する侍、新調の刀の試し斬りにちょうど良いと殿様、それはいけませんと側近の若家老、しかし高松城の殿は「意見を申すか!」と怒り、黄門たちを向いて「縛り首も当然の所を/直々に成敗して遣はす/面を上げい」顔を上げる黄門、「父上!」「私にも貴兄位の息子がおりましてのう/實子を御奉公に出してからは/養子と暮らしておつたが/この養子の心がけの見上げたこと」フラッシュ・バック、黄門に草鞋を履かせる若侍、「民の心を知るには/民の履き物が一番でご座居ましよう」、カッと立つ水戸黄門、「天子様から預かる民を蔑ろにする/そのような子が實子とは情けない……」土下座する高松城殿様と侍たち「これから心を改めます」、殿の指図で縛った縄を切ろうとする侍にそっぽを向き「これはそなたに切つて頂きたい」と若家老に縄を切ってもらい、行商人の父娘を医者まで乗せてくれんかとさっきの駕籠かきを呼びとめるが1人は腕を吊っているので「駕籠は一人ぢや担げませんぜ」、助さん格さんの方を向く黄門、「私らが?」と助さん格さん。以上16分、短編映画としてちゃんとまとまっています。たぶん元の映画がこうしたエピソードをずらずら並べた道中記形式で、中でも特に水戸黄門と息子の高松城殿様の対面のエピソードを取り出してきたのでしょう。池田さん前年の力作『尊王攘夷』よりこっちの方が断然のびのびとしています。密度が濃い16分で音声をつければそのままトーキーになりそうなくらいカットの流れも良く、たぶんちょっとした余興として使うために元の長編から抜粋され民間の夏祭りの野外上映会や町内会、子供会で貸し出し上映されてきたのではないかと思われます。
一方マキノ省三映画監督20周年・第320本記念作品の超大作になるはずだった『忠魂義烈 實録忠臣蔵』は'21年の日活版がオリジナルで、'22年の牧野プロ版に続く2度目のリメイクですが、180分の大長編として撮影終了しながら自宅スタジオで編集中に当時の可燃性の高いフィルムが発火し牧野邸も全焼する災難に見舞われ、配給予定に穴を空けるわけにはいかず焼け残った分を急いで撮った新作『間者』と合わせて上映予定の昭和3年3月14日から公開した、とされています。マツダ映画社版『実録忠臣蔵』は40周年記念版として昭和43年('68年)にマツダ映画社所蔵の現存プリントと『間者』の現存プリント、またおそらく'21年の日活版・'22年の牧野プロ版からの断篇プリントも使って字幕を新しく、ただし昭和3年風に新規作成し、音楽と弁士解説音声つきサウンド版で63分に再編集したもので、これはマツダ映画社の上映会の定番ですから観に行ったことがあります。You Tubeにもアップされていますからリンクを上げました。マツダ映画社版は復源版として意義のあるものですが、今回はディスクプラン版=コスミック出版版の16分の感想文で、マツダ映画社版とはまるで違った編集版だったのでびっくりしました。前半は「活動大写真シリーズ/第3篇/牧野プロ作品/実録忠臣蔵/昭和3年3月14日封切」とタイトルが出て始まり、そのまま後半は「活動大写真シリーズ/第3篇/牧野プロ作品/実録忠臣蔵/昭和3年3月14日封切/地の巻」とタイトルが出て続きになります。どちらも「第3篇」というのもおかしいし前半が「天の巻」となっているわけでもないのに後半がわざわざ「地の巻」とあるのも変です。きっと「活動大写真シリーズ/第3篇」とあるからには、ホームヴィデオ普及以前に8mmフィルムや16mmフィルムで販売または貸し出し用に作られたプリントだと思われます。長編映画、しかもカラー作品は民間が購入するには高価すぎる上にリール交換の手間がかかるのでホームヴィデオ普及以前の販売用映画はB/Wの短編映画が主流でした。この前半、後半がちょうど前半「松の廊下」編、後半「吉良邸討ち入り」編に当たります。日本人なら誰でも知っている「忠臣蔵」(日本人でも時代劇に関心のない家庭で育って高校時代に日本文学史を学び、20代で溝口の『元禄忠臣蔵』'41/'42を観るまで知らなかったようなのがこの感想文の筆者ですが)、その2大有名場面、かつ真ん中を飛ばして原因と結果だけを取り出してきた格好なのでこれだけでもダイジェスト的(というよりダイジェストそのものですが)短編映画にはなっているのは映画の不思議を見る思いです。もし短編時代の映画だったら忠臣蔵はこの構成しかない、という感じで、グリフィスやタッカーが短編映画時代の1909年監督デビューだったように牧野省三も1908年から短編映画を作っていたので演出に短編映画の感覚がもともとある。運良く「松の廊下」部分と「吉良邸討ち入り」部分が焼けずに残っていたものですが、これはつまり重要なこの2シークエンスの編集は真っ先に済ませて自宅スタジオ以外の場所に納品してあった、もしくはデュープして予備を作った上で全編の編集を進めている途中で火災に遭ったと考えられるので、まさか火災まで予期していたとか完成できなかったので焼けてしまったことにした(マキノ自身が他の俳優やスタッフにも嫌われるほどの大石内蔵之助役の主演俳優・伊井蓉峰のわがままぶりに閉口し、撮影中から失敗作と考えていたと伝えられています)、まさか自宅まで全焼させて狂言焼失とは思えませんが(だったら戦前の探偵小説みたいな荒唐無稽で凄い話ですが)、そういえば前回観た『百萬両秘話』も大作長編で基本プロットはシンプルなのにエピソード単位の完結感が強く一つ一つは面白いのにムードの統一が稀薄で、その時は大作『忠魂義烈 實録忠臣蔵』の撮影開始のため助監督任せの場面が多かったのではないかと邪推しないでもなかったのですが、実際そうだったとしても長編映画のシークエンスを短編映画のように把握して連続活劇映画のように構成する感覚の監督だったのではないか。断篇でしか観たことがありませんが短編映画から長編映画への移行期に流行したアメリカの「鉄の爪」シリーズやフランスの「ジゴマ」シリーズのようなものです。だからマキノはまず『実録忠臣蔵』の前半の山場「松の廊下」と後半の山場「吉良邸討ち入り」を完成させて除けておいたので、焼失を免れたその前半後半2シークエンスを合わせた16分だけでも短編映画「実録忠臣蔵」になったのではないか。前半「松の廊下」には台詞字幕が「何者だ!」しかなく、後半「吉良邸討ち入り」は大石内蔵助の一日が描かれ、説明字幕が「雪の日」と討ち入り当日到来の時間経過を示すきりです。ラストカットは討ち入り後に仇討ちの報告を済ませた大石内蔵助と息子主悦(?観間違いかも)が一本道を去っていく後ろ姿のフィックス・ショットで終わります。本作公開後牧野省三はなおも『雷電』'28(6月29日公開)を監督し(これが遺作になりました)、心労から病床に就きながらも翌年の昭和4年('29年)3月1日公開の監督7人によるマキノ・プロ作品『大化新政』まで製作総指揮を執りましたが、7月25日心臓発作で急逝しました。享年50歳、マキノ・プロは長男雅弘が後継者となって昭和6年('31年)まで活動しましたが、牧野省三が残した37万円、現在のレートで数億円の負債はプロダクション解散時にも返済が進まず、雅弘は日活監督を経て省三晩年に尽力した録音のノウハウを生かし、トーキー初期の当時もっと収入の多い大映の前身・第一映画社で溝口健二、伊藤大輔ら大御所ヴェテラン監督作品の録音技師を勤めることになります。マキノ雅弘が監督に復帰するのは数年後、しかもまだ負債の返済は済んでいませんでしたが、本作のラストカットが大石内蔵助父子(これが息子主悦役の雅弘かどうかはっきりしないのですが)が一本道を去って行く姿だとしたら、省三が息子雅弘に託したバトンのようであまりに遺言的に見えてくるのです。
●2月4日(日)
『右門一番手柄 南蛮幽霊』(東亜キネマ京都撮影所'29)*66min(オリジナル70min), B/W, Silent : https://youtu.be/0BX_gnnsy8Q (マツダ映画社/嵐寛寿郎サイレント剣戟活弁版映像集)
公開昭和4年(1929年)11月1日
監督・橋本松男(生没年不詳)
脚本・山中貞雄(1909-1938)
原作・佐々木味津三
撮影・藤井春美
出演・嵐寛寿郎(むっつり右門)、頭山桂之助(おしゃべり傳六)、尾上紋弥(あばたの敬四郎)、嵐橘右衛門(坂上与二郎)、平塚泰子(その娘鈴枝)、瀬川路之助(おでんやの男)、木下双葉(おでんやの女)、大和勇一(岡ツ引長助)、鳴戸史郎(髷の流人)、声望儀之助(若旦那町人)
○あらすじ(DVDパッケージより)無口で目立たないが腕はめっぽう立つ、南町奉行所同心の「むっつり右門」こと近藤右門。事件は花見で浮かれる江戸の舞台で起きた殺人。時を同じくして湯島天神の富くじ三百両が盗まれ…。
*
本作の製作・配給会社で戦前の映画社・東亜キネマは1923年(大正12年)設立、'24年~'25年に牧野プロを傘下に置き「マキノ等持院撮影所」を買収、「東亜キネマ等持院撮影所」として急成長しました。牧野省三は東亜キネマから独立後マキノ・プロダクションを新たに設立、「御室撮影所」を開き自社スタジオとします。'28年までは順調でしたが翌'29年の世界的経済恐慌で3月に八千代生命を皮切りにスポンサーが次々撤退、製作部門を東活映画社として独立させ時代劇のベストセラー作家・直木三十五をスポンサーに建て直しを図りましたが1932年(昭和7年)10月には東活映画社も1年足らずで製作断念、東亜キネマも撮影所を住宅地に売却して幕を閉じました。こうして調べたことを書いているといかに普段日本映画の過去を知ろうとする機会が乏しいか思い知らされます。山中貞雄が当初高校の一年先輩のマキノ雅弘を慕ってマキノ・プロダクションに入社し映画界入り、しかしすぐ能力不足とされて嵐寛寿郎プロに譲られ、嵐寛プロ解散で再度挫折するも嵐寛の映画復帰・嵐寛プロ再開とともに脚本家として再起しめきめきと才能を現し'32年には監督昇進、以降日活移籍~P.C.L.撮影所(東宝の前身)移籍から徴兵前の『人情紙風船』'37まで5年間に24作の単独長編作と2作の共同監督作品を残す、と日活時代からは多少知っていたもののマキノ・プロ~脚本家時代~嵐寛プロでの監督デビューを意識することはほとんどありませんでした。本作『右門一番手柄 南蛮幽霊』(DVDタイトルは『右門捕物帖 一番手柄 南蛮幽霊』になっています)は脚本家としての地位を固めた「むつつり右門」シリーズの第1作になるそうで、'32年には『右門三十番手柄』まで作られているそうですから嵐寛寿郎のヒット・シリーズになったのがわかります。
監督の橋本松男はトーキー以降に移籍した全勝キネマ('36年~'41年)に多数の作品がある、くらいしかわかりませんが(全勝キネマは最大のヒット作が『キング・コング江戸に現はる』らしいB級映画専門ながら5年間に作品を量産した会社だったようです)、脚本が冴えているのは、また脚本自体が演出プランを多く提供しているらしいのは観始めるとすぐに伝わってきます。所作や字幕のタイミング、字幕に依らず所作で推察させる会話、フィックス・ショット内の人物の出入り、移動撮影、オーヴァーラップなどサイレントの技法としては極致に達しており、『水戸黄門』や『実録忠臣蔵』もそうでしたが字幕は最小限(本作の場合ユーモアのために時にはわざわざくどい台詞字幕を挿入する技法もありますが)、基本的にはもう音声をつければトーキー作品で通るくらいに俳優の演技も自然で映像もスマートになっていますが、トーキーでは会話の速度にもリアリティが求められるため本作の仕上がりよりもっと会話を含むシークエンスが長くなっていたでしょう。映画のテンポについてハワード・ホークスやアルフレッド・ヒッチコックら'20年代に監督デビューし初期にサイレント作品を10本程度は手がけた監督が「サイレントからトーキーに変わって映画のテンポが遅くなった」「サイレント映画こそ純粋な映画だと思う」と発言しているのは極東の島国ローカルな作品で、かつ同時代特に傑作とされたわけでもない本作のような娯楽映画でも感じられますが、山中貞雄脚本とクレジットを見てしまうともうそれだけで観る目の色も変わるのは仕方なく、本当にここには山中脚本・監督作品『丹下左膳餘話 百萬両の壺』'35や『河内山宗俊』'36、『人情紙風船』に直結していく旨味がもう萌芽を見せています。演目の一幕として行われた芝居の舞台で観衆の面前堂々と殺人事件が起き、江戸のシャーロック・ホームズとワトソン博士とも言うべき同心むっつり右門と目明かしのおしゃべり屋傳六のコンビが富くじ盗難事件に絡む南蛮由来の犯罪コネクションを暴いていく本作は本格ミステリーではありませんが犯罪捜査時代劇として実によくできていて、オリジナル70分に対して現存66分と欠損も少なくデザイン字幕も簡潔で読みやすく、弁士解説がなくてもすらすら話が頭に入り、伴奏音楽もないのが唯一慣れていないと困るかもしれませんが、ミステリーもユーモアもアクションもあり人物のキャラクターも面白い時代劇でサイレント映画を普段観つけない人にもお勧めできる面白い作品です。前記の山中貞雄監督作品現存3作(いずれもトーキー)を観て山中の天才映画作家の力量をご存知の方はもちろんマスト!終盤の剣戟の立ち回りがちょっと長いですがそこは嵐寛映画だからですし剣戟自体は鮮やかですからマイナス点にはなりません。むしろ戦前日本映画の最高峰として山中の現存トーキー作は観ている、ただしサイレントはちょっとというような人が本作を観ると映画にトーキーもサイレントもないじゃないかと鱗が落ちる思いがするのではないでしょうか。
●2月5日(月)
『決戦荒神山』 (東活映画社・宝塚キネマ'32)*48min(廣澤虎造浪曲サウンド版) (オリジナル85min), B/W, Silent with Sound
公開昭和7年(1932年)12月31日
監督・金田繁(1906-1966)、大伴麟三(1907-1944)
原作・小国京二
脚本・小国京二
撮影・金森清太郎
出演・月形龍之介、阿部九州男、毛利峯子、五十鈴桂子、小川雪子、有明月子
○あらすじ(DVDパッケージより)荒神山の賭場をめぐって神戸長吉(阿部九州男)一家と安濃一家は一触即発の状態だった。長吉は兄弟分の吉良仁吉(月形龍之介)に助っ人を願い出るが、仁吉の嫁(五十鈴桂子)は安濃の妹であった。悩む仁吉だったが義理を重んじ、神戸一家と安濃一家の荒神山での決戦が始まる。
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本作製作の東活映画社が実態は活動末期1年の東亜キネマの製作部門の子会社なのは『右門一番手柄』の項で書いた通りです。今回観てきた作品で言うと『弥次喜多前篇 善光寺詣り』(日活大将軍京都撮影所'21)は牧野省三が日活撮影所所長だった頃の日活作品、『小雀峠』(マキノ映画製作所等持院撮影所'23)は牧野が日活から独立し等持院撮影所を開設して自社作品を自社配給していた頃の作品、『江戸怪賊傳 影法師』(東亜キネマ・マキノ映画製作所等持院撮影所'25)は'24年に東亜キネマに合併吸収された牧野プロが再び独立して製作を開始した第1作ながら配給は東亜キネマに任せていた時期の作品、となります。『尊王攘夷』『水戸黄門』は牧野省三が日活撮影所所長だった頃俳優として日活に入社して牧野監督作品で俳優デビューし、牧野が日活を去った後日活監督に昇進した池田富保監督作品、『百萬両秘聞』と『實録忠臣蔵』はマキノ省三自身のマキノ・プロ御室撮影所(東亜キネマとの関係が切れて買収された等持院撮影所が使えなくなったため新しく開設した撮影所)作品、『右門一番手柄』が牧野プロ出身で嵐寛プロと日活を経て嵐寛作品の脚本家になった山中貞雄脚本の等持院撮影所改め東亜キネマ京都撮影所製作作品、とすべて牧野省三と関わりのある作品ばかりになるわけです。本作も牧野プロ合併吸収時代に会社の基盤を固めた東亜キネマが子会社の製作部門とした東活映画社、つまり実態は東亜キネマの最後の作品という名誉か不名誉かわからない記念碑的位置にある映画で、ついでに言えば'32年作品ですから「日本の'20年代サイレント時代劇」に含めるのは看板に偽りありなのですが、上記の理由で時代遅れになった'20年代サイレント時代劇の終止符と見なせます。こうして見るとディスクプラン「日本名作劇場」シリーズ原盤『名作映画 サイレント劇場』(コスミック出版)はフィルムセンター小特集「牧野省三と日本サイレント時代劇の盛衰」と言うべき作品選択コンセプトによる10枚組DVDボックスだったのが判明する。伊藤大輔や稲垣浩が入っていないのもそういうわけです。牧野在籍時の日活作品から始めてマキノ・プロ作品を中心に牧野組出身の日活監督・池田富保の稀少作品を交え、マキノの縁から東亜キネマ~東活映画社作品でサイレント時代劇の終焉を示す。ここに伊藤大輔の『御誂次郎吉格子』'32や稲垣浩の諸作を入れたらマキノ系も崩れればマキノ系でも衣笠貞之助の『十字路』'28(『御誂次郎吉格子』と並ぶ「日本名作劇場」の目玉商品)同様サイレントを越えてトーキー時代~戦後まで日本映画史を生き延びた監督が混じってしまいます。『決戦荒神山』の監督・金田繁、大伴麟三も金田は戦後まで、大伴も戦時中の逝去までトーキー時代も活動しますが、『決戦荒神山』自体が東亜キネマ(東活映画社)の最終作品という歴史的作品だから傍系ながらもこれをマキノ系サイレント時代劇の終わりを示した位牌のような映画と見なせる。西部劇だけでも50セット(!)あまり出している書籍扱い廉価版メーカーのコスミック出版の10枚組DVDシリーズは監修者など明記せずびっくりするような珍しい日本初DVD化作品を掘り出してくるのですが、この調子で著作権切れ日本映画もがんがん出してくれないかな。『アカデミー賞ベスト100』10巻、『戦争映画パーフェクトコレクション』30巻以上、『史劇パーフェクトコレクション』3巻、『海賊映画コレクション』3巻、『名作文学を映画で楽しむ』3巻、『ミュージカルパーフェクトコレクション』2巻(続巻予定)、『フレッド・アステア』3巻、『フランス映画名作コレクション』2巻、『ジャン・ギャバンの世界』3巻(30作、続刊予定あり!)、などとんでもない10枚組DVDセットを1巻当たり西部劇1500円~戦争映画1800円~フランス映画1980円で膨大に毎月2巻発売しているのに、日本映画はサイレント時代劇、トーキー時代劇、日本映画名作集(溝口戦後作6作と『地獄門』『青い山脈』など)、小津安次郎大全集(トーキー第1作『一人息子』から『東京物語』まで)の4セットしか出ていないのです。日本映画の場合著作権切れの確認や問題が煩雑なんだろうな。実際他社のリリースで黒澤明作品の回収事件もあったし。
さてそういう日本映画史の隠れた歴史的作品の本作のプリントは、あれ音楽が始まったぞと思ったらアヴァンタイトルに「浪曲界の花形/廣澤虎造/得意の讀物」と1枚クレジットが出て本編クレジットが続きます。タイトルは単に『荒神山』とだけ出てきますが、本編を観ていくと虎造の浪曲が弁士を兼ねていてどうやら字幕を削った編集がしてあり、また明らかにトーキー速度の24コマ/sec.では早いので、48分のこの編集サウンド版はオリジナルから20コマ/sec.なら約58分、18コマ/sec.なら約64分を使っていることになり、オリジナルは字幕を含んで80分とされますから多め(18コマ/sec.)とすれば約8割を残した短縮版となります。監督の金田繁は東亜キネマから東活映画社に移籍してきた元帝国キネマ出身者、市川右太衛門プロから東活に移籍してきた大伴麟三と共同監督を勤めた人で、金田・大伴ともに監督デビューは25歳です。ヒロインは仁吉妹お芳(毛利峯子)、また長吉女房お雪(有明月子)、妾お艶(小川雪子)で、安濃一家と敵対する神戸一家の家長神戸長吉(阿部九州男)との抗争に長吉の兄弟分、吉良仁吉(月形龍之介)が安濃家出身の恋女房おきく(五十鈴桂子)の心情に苦しみながら安濃家との決戦に助太刀して殉死する、というお話を割とヒロインたちの場面の多いホームドラマ的展開で決戦までの神戸家事情を描きながらクライマックスの決戦までにはダレてしまう、となかなか冴えない映画で、末期東活映画社は配給を宝塚キネマに委託し、東活休業後宝塚キネマは自社製作を始め大伴麟三は宝塚キネマの監督に、金田繁は全勝キネマの監督になるそうで、企画段階から宝塚キネマ配給の意向が大きく反映されているのならばホームドラマ的女性映画の側面が強いのも宝塚キネマの要望だったと思えます。女優たちが宝塚出身者とも考えられますし、いわゆる「荒神山」ものの定番的展開はよく知りませんが神戸一家と安濃一家の決戦を主眼としながら敵方の安濃一家がまるで描かれていない。そもそも描かれていないから魅力的でも嫌悪感を催す敵方でもない。その上神戸一家と言えば女房方ばかりが心配したり勇みたったりかしましいので、観客にはいっそ土壇場で敵対の馬鹿馬鹿しさに気づいた主人公たちが安濃一家に和解を申し出る方が作劇的には自然に見えてくるのです。しかし決戦しなければ「荒神山」にならないので決戦する。決戦から逆算した作りならば明らかに女房方視点で描いてきたのは誤算なので、吉良仁吉を演じる月形龍之介は二枚目でかっこいいし殉死も決まっているのですが(たぶん)宝塚の娘役スター格の女優を4人も出してホームドラマ的女性映画的展開にしたことで映画の焦点がぼけてしまっています。この頃にはフィルムも感度が良くなったか俳優のメイクもこれ見よがしの白塗りではなく(白塗りにはそうしないと肌が黒っぽく映るという理由がそれまではありましたが、フィルムの感度の向上と多少肌色がくすんでも過剰なメイクよりは良い、という意識の変化があったと思われます)、最初のうちは浪曲の音楽と語りもあって(音声トラックの損傷が激しくほとんど聴きとれませんが、雰囲気は感じ取れます)映像的にはもうトーキーだな、と堂に入った俳優の演技もあり安心して観ていられるのですが、観進めていっても板つきのシーンばかりで舞台劇撮影っぽさが気になってくるのです。背景もそれなりに作ってあるはずですが、撮り方が舞台劇なので立体感に乏しく書き割りめいて見えます。吉良殉死のクライマックスもフィックスで淡々と撮っただけ、という感じで、それが効果を上げているわけでもない。プログラムピクチャーだからこんなものでと極力安上がりに作ってあるような映画で、せいぜい俳優のネームヴァリューと衣装で持っている、いや持っているのかもあやしい際どい作品です。ジリ貧とまでは言いませんがその一歩手前に迫ってもう後がない感じで、本当に後はなかったのですから何をか言わんや。それでも浪曲サウンド版が再編集されたのですから上映需要はあった証拠で、まだしも恵まれた作品だったのは宝塚キネマ配給と月形龍之介主演の僥倖でしょうか。