人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

老けたなブライアン

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

これが同一人物でこざいます。泣く子も笑うクイーンのブライアン・メイさん。YouTubeで10ccの映像ハシゴしてたら「ホークウィンドと10cc」というタイトルのインタビュー抜粋で出てきたのが図版(上)の、今年になってからのブライアン様の映像でした。
どこのじじいだよー!
(しかしホークウィンドと10ccという組合せもすごい。村八分とチューリップの対バンくらいすごい。まあキャロルの前座にシュガーベイブという実例もある)

慌ててブライアン・メイさんの動画に検索かけたら、去年のインタビュー映像は図版(中)だった。一応昔はロックスターだった面影がないでもない。しかし表情のショボくれ具合…。インタビューのタイトルは、
「l still feel Fredie's around」(まだその辺にフレディがいるような気がするよ)だった。

もともとクイーンはブライアン・メイ(ギター)とロジャー・テイラー(ドラムス)が始めたバンドで、ビーチ・ボーイズのヴォーカルをレッド・ツェッペリンサウンドに載せた音楽を指向していた。フレディ・マーキュリー(このステージ・ネームだけで大爆笑だという)をヴォーカル・ピアノに迎えたオーディション代わりのライヴで最も尊敬する先輩のイアン・ハンターに絶讚され、フレディの加入によってクイーンの成功への道は拓けた。
(フレディは外交官の子息というブルジョワ階級出身。同じく外交官の子息にザ・クラッシュジョー・ストラマーがいる)

ブライアンさんはもともとリーダーだったわけです。そこに凄いのが入ってきた。おまけにドラムスのロジャーも曲が書けて歌え、ベーシストのジョン・ディーコンもヒット性のある曲を書く。クイーンの歴史はバンド内抗争の歴史で、フレディが亡くなって20年経ってもベストアルバムやらゲスト参加やらでクイーンの暖簾は下げていない。同じようなバンドにザ・ドアーズがいます。オールマン・ブラザースもそうかな。

フレディ逝去は1991年11月。その年にはクイーンの新作「イニュエンドゥ」をラジオで聴いて「おお、初期のサウンドじゃん」と感心したが、劇評の仕事で女性演出家のバレエがクイーンづくしで苦笑した記憶があります。
図版(下)はフレディ逝去翌年1992年のメイさん。クイーン20年間はこのルックスだったのですが(笑)。