人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

療養日記・6月5日火曜・曇り

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今朝の散歩中に駅前のスリーエフ店頭で発見した。これまで燕の巣の変遷は、

平塚信用金庫の庇(09年まで)→改装

資生堂接骨院に二ヶ所(10年・11年)→改装

で今年はどうしているのか危ぶんでいたのだ。先月の初め頃記事にしたと思う。いま歳時記を開いてみたら、この間引用しだばかりだぞ、と思い当たる句ばかりだったからだ。
(ちなみにお薦めの歳時記は水原秋桜子編・実質的には秋桜子主宰「馬酔木」同人の共編で、講談社文庫に入っている。角川文庫版の歳時記は包括的すぎる。ホトトギス系の歳時記ははっきり言って古い)。
「馬酔木」同人編歳時記はすばらしい俳句の季題別宝庫で、燕の句の筆頭は、

春すでに高嶺未婚のつばくらめ 飯田 龍太

で、清新きわまりない。龍太より古い世代だが、

燕来ぬ妻には妻の願あり 加藤 楸邨

もとぼけていて春先のほっこりした幸福感を伝える。「未婚のつばくらめ」の方はもっと生臭く繁殖の季節の到来を詠っている。どちらの句も短観的抒情にやや接近している。
それから前回は伊東静雄の大傑作(晩年の三島由紀夫も絶讚)『燕』も引用した覚えがある。これまで伊東静雄の抒情詩をご紹介して反響のあった試し(伊東に限らないが)がない。まあ反響を期待するならぼくのブログはどうでもいいことばかりしか取り上げていない。ジャズについては書く気もしない。最初からなにも書かないにこしたことないのだが、ほかに在宅療法で適度なものがない。いっそ入院でもするか。

燕の話だった。記事へのコメントで、分譲マンションなので困っている、というお話をうかがった。これはもっともで、最大公約数的には燕の巣などもっての外だろう。だが-
写真に撮るとうんこの塊にしか見えない燕の巣すら駆除されるのならば、駆除される対象はさらに広がっていくに違いない。武田泰淳の大作「富士」1971は大平洋戦争中の精神病院を描いた作品で、今日で言えば障害2級以上の精神障害者はもれなく精神病院に隔離された。もちろん名目は保護なのだが、さすがに動物園の猛獣のように始末はできなかったというだけだ。

そこで映画にもなった「郭公の巣」という精神病院小説を思い出す。あの主人公が戦っていた巣とはなにか。来月5日で誕生日のぼくも、きっとなにかの巣にいるのだ。