人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(9)ポポル・ヴー

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

第9回はポポル・ヴー(Popol Vuh,1971-2001)を取り上げる。まずジャケットの美しさには目を見張らずにはいられない。ヴーのアルバムは25作ほどあるが、そのどれもが推薦アルバムと同等の美しいジャケットに包まれている。
ヴーの解散は自然消滅で、リーダーのフローリアン・フリッケ(ピアノ、1944-2001)の逝去によるものだった。リーダー以上の存在で、ヴー=フリッケと言ってもいい。30年に及ぶ活動で一度もライヴを行わなかった。フリッケは名門の生れで邸宅にスタジオを持ち、デビューに当って豪邸並の高価な最新シンセサイザーを購入し、デビュー作「猿の時代」1971と第2作「ファラオの庭で」1972(画像1)はシンセサイザーとパーカッションのみで作られた。世界的にも純粋なシンセサイザー実験音楽はヴーが初めてになる。しかも他の楽器の代用ではなく自然界の音響をシンセで作り上げ音楽にする、という発想で、「ファラオの庭で」ではA面は風がゴーゴー、B面はタイコがポコポコ鳴っているだけに聴こえる。これが実にいいのだ。A面は大気を、B面は大地を感じる。

ところがフリッケはあっさりシンセを友人のクラウス・シュルツに売却し、第3作「ホシアナ・マントラ」1973(画像2)以降はピアノに専念する。ピアノ、ギターに加え韓国クラシック界の巨匠イサン・ユンの令嬢ディオン・ユンを迎えたこのアルバムはジャーマン・ロックの金字塔で、讃美歌(ホシアナ)と呪文(マントラ)、西洋音楽と東洋音楽を叙情的に融合させたものだった。発想はサイケデリックだが、出来上がったものは架空の世界の教会音楽を思わせる。この作品が以後のヴーの音楽の原点になる。

次作でギターとドラムスを手掛けるダニエル・フィッヒェルシャー(元アモン・デュールll)が加入、流動的なメンバーのうち不動のメンバーとなる。第6作「雅歌」1975はユンの透明なヴォーカルの比重がもっとも高い人気作。第7作「最期の日、最期の夜」1976(画像3)から元アモン・デュールllの女性ヴォーカリスト、レナーテ・クラウプが加入。3人中2人が元アモン・デュールllになるが、音楽性に変わりはない。フリッケのリーダーシップの強さがわかる(ただしロック色はやや増す)。
以降は省略。ヴーの音楽は聴けばわかる個性の強さがある。聖なるロックなんて本来反則なのだが。