人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(1)イタリアの潮風・P.F.M

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フランス、旧西ドイツに続き70年代のイタリアのロックをご紹介したい。日本のユーロ・ロックの愛好家がもっとも好むのがイタリアン・ロックで、それこそ重箱の隅まで発掘されている。しかも日本に根強い愛好家がいることから逆輸入のかたちで欧米でも再評価が進み、引退していたミュージシャンの活動再開にもつながった。
70年代イタリアン・ロックの特徴は当時のイギリスのロックでプログレッシヴ・ロックと呼ばれた一派の影響が強いことで(ただしピンク・フロイドの影響は強くない)、クラシックの研鑽を積んだプレイヤーが多い音楽嗜好が反映していると思われる。日本では「プログレ」と略されてきたのを欧米では「プログ(Prog)」と呼ぶのが浸透したのも逆輸入現象で、イタリアの70年代バンドは積極的にプログレッシヴ・ロック・バンドを名乗った。ただしピークはあまりに短い。72年から74年に集中する。オイル・ショックが多くのバンドの息の根を止めた。フランスやドイツではこれほど極端ではなかった。

ユーロ・ロックのバンドで世界的な成功をおさめ、プログ・ロックの頂点に立ったのはオランダのフォーカス、そしてイタリアのP.F.M(1972-)だろう。フルネームはプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(町一番のパン屋)だが、世界デビュー盤「幻の映像」1973(画像4)から略称になった。「幻の映像」は本国での第一作「幻想物語」1972(画像1)、第二作「友よ」1972(画像2)から選ばれた英語版。日本でも英米ロックのヒット作を凌駕するほどの評判を呼ぶ。美しい楽曲とテクニカルな演奏。元々プレミアータは60年代にはイタリアGSのクウェッリというバンドだったが、本気を出せば凄い音楽集団だったのだ。

最高傑作というべき第三作「甦る世界」1974(画像3)を英語版と伊語版で同時発売、日本とアメリカのツアーも成功させ「ライヴ・クック」をリリース。
翌75年には専任ヴォーカリストを加入させ「チョコレート・キングス」発表。質は高いがオリジナリティは薄れ、リーダーのマウロ・パガーニ(ヴァイオリン、フルート)脱退。バンドはメンバーを補充し「ジェット・ラグ」1977、「パスパルトゥ」1978で70年代を乗り切る。80年代はポップスのバンドになっていたが、90年代以降は往年の音楽性で活動を仕切り直している。画像はすべて推薦作です。