人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(2)ロカビリー~エレキ・インスト

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○内田祐也&尾藤イサオ「ロック・サーフィン・ホット・ロッド」1964(画像1)
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かつて「日劇ウェスタン・カーニバル」というロカビリー~エレキ・インスト~GSの年間定例フェスティヴァルがあった。ウェスタンの由来は、エルヴィス・プレスリーが日本に紹介された時の「カントリー&ウェスタン」歌手という区分で、続く白人ロッカーも同様。黒人ロッカーの紹介はずっと後になる。小坂一也を先駆に1958年にはロカビリーの名称が定着、平尾昌章、山下敬二郎ミッキー・カーチスが「ロカビリー三人男」と呼ばれてブームになり、坂本九、かまやつヒロシらもデヴュー。60年代に入ると飯田久彦ジェリー藤尾、鹿内タカシらがデヴューしバック・バンドもシャープ・ホークス、ブルー・ジーンズら先鋭的なロック感覚を備えたバンドに成長する。
中でも(イギリスのバンド経由だが)黒人ロッカー感覚を導入したロカビリー最重要シンガーが内田祐也と尾藤イサオで、ブルー・コメッツがバックのこのスプリット・アルバムはエレキ・インスト~グループ・サウンズ前夜の記念碑といえる作品。全曲カヴァーなのは言うまでもない。

加山雄三「恋は紅いバラ/加山雄三アルバム」1966(画像2)
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本業は俳優だが、裕福な家の子息に生れ多彩な趣味は当り前、という加山が後輩たちを鍛え上げてザ・ランチャーズを結成させ、全曲オリジナル、半数はインスト、半数は英語詞という徹底的な洋楽性でギタリスト・デヴューした画期的な第一作。69年までの4年間に12作のアルバムを発表したことからも60年代の加山の創作力と人気がわかる。

寺内タケシとバニーズ「レッツ・ゴー『運命』」1967(画像3)
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鹿内タカシのバック・バンドだったブルー・ジーンズはリード・ギタリスト寺内タケシの人気でザ・ヴェンチャーズに対抗する日本最高のエレキ・インスト・バンドとして63年独立デヴュー、64年の第一作から66年末にバニーズとして再編するまで2年間に16枚(!)のアルバムを発表。外国曲、歌謡曲、ムード音楽、映画音楽、民謡と何でもエレキ化する寺内が、バニーズ4作目(まだ半年で)で放った大ヒット作が「レッツ・ゴー『運命』」。表題曲始め「白鳥の湖」「エリーゼのために」等全12曲有名クラシックにファズ・ギターが炸裂する。当時ドイツでもヒット。これは凄いアルバムです。