人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(13)モーレツ!歌謡GS の世界

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「モーレツ!」とくるとまるでクレヨンしんちゃん映画のようだが、このモーレツはトホホ的ニュアンスを多大に含んでいると言ってよい。たとえばパープル・シャドウズは不朽のGS歌謡を『小さなスナック』(オリコン2位)『別れても好きな人』(ロス・インディオス&シルビアのカヴァーで大ヒット)と2曲も生みだしているし(近年深田恭子がチョコレートのCMでシングルB面曲『瞳の世界』をハミングしていたから3曲か)、ブルー・コメッツ・フォロワーだったヴィレッジ・シンガーズもかつての最大ヒット『バラ色の雲』のみならず島谷ひとみによるカヴァーで『亜麻色の髪の乙女』のバンドとしても知られるようになった。

さらにオックス。テンプターズは真正の意味でタイガースのライヴァル・バンドだったが、一時はタイガースを脅かす存在だったオックスは一体なんだったのだろうか?彼らはロックをやっているつもりだったのだろうか?仮にそうだとしたら、それはGSブームという時代風潮のなかでしかロックではなかった。いわゆる仇花。どうしてこんなことになってしまったのだろう?

「ロックではなかった」と言ってしまったが、これは誤解を招く表現で、彼らは三者三樣に独自なスタイルを持っていて、それは繊細だったり(パープル・シャドウズ)、王道だったり(ヴィレッジ・シンガーズ)、元祖ヴィジュアル系だったり(オックス)した。時代が変わっただけだ。
掲載アルバムは、
○ザ・ヴィレッジ・シンガーズグループ・サウンズの貴公子」1968.3(画像1・CDは「Best&Cult」と改題・増補)
○「小さなスナック/パープル・シャドウズ・アルバム」1968.12(画像2・増補)
○「オックス・ファースト・アルバム」1968.12(画像3・増補盤あり)

ヴィレッジ・シンガーズのデヴューは古く66年10月だったが地味なフォーク・ロックで最初のシングル2枚はまったく不発だった。メンバー・チェンジし67年8月に第三弾シングル『バラ色の雲』で起死回生の特大ヒット。以後はGSブームの凋落を尻目に70年代まで活動する。

パープル・シャドウズもヴィレッジ・シンガーズと似た経歴で、ヴィレッジ=清水道夫ならパープル=今井久(lg,vo)、作曲・ギター(井上陽水に起用されるほどの腕前)・歌の巧みさは「これもありかな?」と納得してしまう。

字数切れ。オックスは次回で。