人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

タルカス、その他のエッセイ

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○コメントと断片より

(1)タルカスは人気曲ですからね。あのアルバムはA面だけでいい、という人も多いでしょう。日本のプログレ・バンド、フライド・エッグにも「オケカス」というトリビュート曲があり(1972年)、最近でも吉松隆編曲の吹奏楽版が大河ドラマに使われ話題になりました。EL&P自身では伝説的な「ロング・ビーチ・アリーナ」1972.7.28のライヴが暴走していて最高(「ブートレッグ」vol.1に収録)、エマーソン自身も2000年代のザ・ナイスの再編ライヴでセルフカヴァーしています。日本での人気は「展覧会の絵」ですが、ぼくはタルカスの方がいいですね。

(2)40代より上の世代ではこの曲はグレン・グールドのデヴューLPで、また遺作LPで親しまれているでしょう。同じ曲なのにまったく表情が違います。ほぼ同い年のライヴァル、フリードリッヒ・グルダがジャズもやればロックもやる快楽主義者だったのに較べ、シェーンベルグを到達点とする正統派クラシックの読み直しにおいて、学究的カリスマ・ピアニストとしてのグールドの名声は熱狂的なものがありました。

(3)氷見の晩年の詩には「宇宙」ないしは「銀河」という詩句がごく日常的な景色の中に編み込まれています。これが超越的な自我溶解=拡散感覚であって、「神話」としてのわたし、というのは具体的人間としての氷見ではないものになるわけです。この手法はかつて高村光太郎宮沢賢治草野心平と発展しましたがベクトルは正反対で、むしろ自我の宇宙的拡張を指向したものでした。かえって明治30年代の詩人・伊良子清白、代表作「漂泊」に氷見に通じる素朴な感覚があります。これは明治から現代までの日本の詩でも屈指の一篇です。以前取り上げましたが、いずれ再紹介するつもりです。

(4)現代的な婉曲話法なのでしょう。他にも語尾上げアクセントが10数年前からあり(体言止め+語尾上げ。「じゃない?」とか「ていうか」を略した形)、これもそうでしょう。バラエティ番組では大半の芸能人がそうです。実はぼくの職種もそうで、結婚前に(元)妻に指摘されて直しました。周囲の乱れに知らないうちに染まる見本です。

(5)冷房がありませんので、この夏はバスタブに水を張って1日に2~3回水浴、室内ではトランクス1枚で夏を過ごしています。子どもの夏休みに近い療養生活です。