人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(20)アイ高野=ザ・カーナビーツ

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 ザ・カーナビーツのリーダー、アイ高野(ヴォーカル、ドラムス)は06年4月に逝去した。享年55歳。葬儀にはGSのOBが勢揃いした。カーナビーツとゴールデン・カップスのメンバー、加橋かつみ(タイガース)、真木ひでと(オックス)…ここから先は点鬼簿になるが、鈴木ヒロミツ(モップス、07年3月逝去)、岡本信(ジャガーズ、09年4月逝去)、ジョー山中(フォー・ナイン・エース、11年8月逝去)、安岡力也(シャープ・ホークス、12年4月逝去)。カップスのリーダー、デイヴ平尾も08年11月に逝去した。ブルコメの井上忠夫も00年5月に自害している。

 カーナビーツは67年6月にゾンビーズの日本語カヴァー『好きさ好きさ好きさ』でデヴュー、アイ高野はまだ16歳だったがプロデュース力に長けており、「おまえのすべて!」と客席にスティックを向けるのも高野自身の演出だった。このデヴュー曲は当時としては驚異的な120万枚の売上げを記録。アイ高野の甘いヴォーカルと派手なドラムが魅力だが、ドラマーが全曲リード・ヴォーカルはきつい。そこで高野とは対照的にクールな臼井啓吉を半数の曲ではヴォーカルに立てた。越川ひろし、喜多村次郎の2ギターの絡みなど、カーナビーツのアルバムはアウト・キャスト、ボルテイジ、テンプターズカップスの初期2作と並びGS時代の生んだガレージ・ロックの傑作といえるものだ。掲載アルバムは、
○「ジャガーズ対カーナビーツ」1967.8(画像1)
○「ザ・カーナビーツ・ファースト・アルバム」1968.2(画像2)
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 で、これにアルバム未収録のシングル(すべてCD化済み)を加えれば全作品。解散が69年秋、「ファースト・アルバム」以降にシングル6枚=12曲あるからもう1枚アルバムを出せたはずだが、デヴュー曲を120万枚売った人気GSでもブームの下降とともに凋落は免れ得なかった。

ザ・ゴールデン・カップス「フィフス・ジェネレーション」1971.1(画像3)
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 アイ高野はマモル・マヌーの後任で70年1月からカップスに加入。デイヴ平尾、エディ藩、ミッキー吉野柳ジョージアイ高野というスーパー・グループとなる。掲載アルバムは1曲を除きすべてバンドの自作曲という力作。この後ライヴ1作を発表したが、72年正月に巡業先の沖縄で火災で楽器も機材もすべて失って解散。劇的な終焉だった。