カーナビーツは67年6月にゾンビーズの日本語カヴァー『好きさ好きさ好きさ』でデヴュー、アイ高野はまだ16歳だったがプロデュース力に長けており、「おまえのすべて!」と客席にスティックを向けるのも高野自身の演出だった。このデヴュー曲は当時としては驚異的な120万枚の売上げを記録。アイ高野の甘いヴォーカルと派手なドラムが魅力だが、ドラマーが全曲リード・ヴォーカルはきつい。そこで高野とは対照的にクールな臼井啓吉を半数の曲ではヴォーカルに立てた。越川ひろし、喜多村次郎の2ギターの絡みなど、カーナビーツのアルバムはアウト・キャスト、ボルテイジ、テンプターズとカップスの初期2作と並びGS時代の生んだガレージ・ロックの傑作といえるものだ。掲載アルバムは、
○「ジャガーズ対カーナビーツ」1967.8(画像1)
○「ザ・カーナビーツ・ファースト・アルバム」1968.2(画像2)
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で、これにアルバム未収録のシングル(すべてCD化済み)を加えれば全作品。解散が69年秋、「ファースト・アルバム」以降にシングル6枚=12曲あるからもう1枚アルバムを出せたはずだが、デヴュー曲を120万枚売った人気GSでもブームの下降とともに凋落は免れ得なかった。
○ザ・ゴールデン・カップス「フィフス・ジェネレーション」1971.1(画像3)
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アイ高野はマモル・マヌーの後任で70年1月からカップスに加入。デイヴ平尾、エディ藩、ミッキー吉野、柳ジョージにアイ高野というスーパー・グループとなる。掲載アルバムは1曲を除きすべてバンドの自作曲という力作。この後ライヴ1作を発表したが、72年正月に巡業先の沖縄で火災で楽器も機材もすべて失って解散。劇的な終焉だった。