人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジュリーとショーケン、その他

○コメントと断片より

(1)テンプターズ萩原健一はその後俳優・ソロ歌手になった萩原さんと同一人物です。GS時代からジュリーとショーケンは最大のライヴァルと目されていました。タイガースとテンプターズがほぼ同時に解散して1年ほどは、沢田研二萩原健一の2ヴォーカルでピッグ(PYG)というバンドで活動、シングル5枚、スタジオ盤1枚、LP2枚組ライヴ1作をリリースしています(1971年~1972年)。スパイダースから井上孝之・大野克己、テンプスから萩原健一大口広司、タイガースから沢田研二・岸部おさみ(一徳)というオールスターなのにまったく売れない大赤字バンドだったそうですが、シングルもアルバムもとてもいいものです。

(2)ぼくも二人とも好きでした。ただ人間性は対称的だったそうで、ショーケンの周りには気さくに人が集まるのにジュリーは容易く打ち解けない孤高なところがあったそうです。タイガースの初主演映画「世界はボクらを待っている」は不時着したUFOから現れた王女さまを巡るファンタジーでしたが、テンプターズの初主演映画「涙のあとに微笑みを」は等身大の学生バンドの友情話でした。ショーケンは母子家庭の一人っ子という設定で、華やかなタイガースと翳りのあるテンプターズというキャラクターは最初からはっきりしていたんだな、と思わされます。ジュリーは80年代に刊行された自伝でも歌、俳優、どちららもショーケンがずっとライヴァルだったと発言していましたが、ショーケンにはライヴァル意識がまるでなかったらしいのも皮肉です。

(3)ミッキー吉野マリファナ所持・初犯なので保釈。それをきっかけにゴールデン・カップスを脱退し、アメリカに音楽留学してスティーヴとトミーを勧誘、帰国して浅野、タケカワを加えたのがゴダイゴです。まだ20代半ばです。柳ジョージ、ルイズルイス加部もカップス解散以後に様々な活動をしました。若くして自殺した鈴木いづみという女性作家の長編小説「恋のサイケデリック!」は解散後にカップスのメンバーの追っかけ=グルーピーになる小説です。
『長い髪の少女』はオリコン10位でカップスの最大ヒットですが、一番カップスらしくない曲でもあります。カップスはステージでは日本語曲は一切やらなかったといいます。テレビではやっていましたが。嫌々だったでしょうね。