人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

GS記事、教会、その他のエッセイ

○コメントと断片より

(1)当時を体験なさった方に読んで頂けるのは汗顔の至りです。ぼく自身はGSブームの時は幼稚園児でしたが幼児にもテレビやラジオを通してブームの熱狂は伝わってきました。中・高生の頃にGS~アングラ・フォーク・ブームを学生時代に体験した先生方から話を伺うことができました。データは書物からですが、記事自体はそうした生の声を基にしています。このシリーズは22回で完結しますが、モップスとダイナマイツは「ビクター三大GS」として14回で取り上げます。

(2)精神疾患を理由に洗礼が受けられないとは、プロテスタントでは聞いたことないですね。プロテスタントでは一度洗礼受けたら取り消しはききませんが、そちらの教会では受洗した信徒がその後精神疾患になったらどうするんでしょうか?ぼくの母教会では通院していたり入院歴があったり、偶然ぼくより遅れて入院してきた青年がぼくの元々の教会の信徒だったり。彼は10代半ばからの統合失調症で洗礼は20代になってから。熱心な信徒で、入院中も日曜午前は外出許可を取って病院から徒歩20分のミッション大学(プロテスタント系)の礼拝に出席し、入院も病歴も関わりなく歓迎されたそうです。ぼくの知っているプロテスタント系の教会は知的障害者身体障害者精神障害者が家族ぐるみで来ています。社会的弱者を積極的に歓迎する、という姿勢が良かれ悪しかれプロテスタントにはあります。ただ、教会の数だけ教えも組織も違う、とは言えます。

(3)プロテスタントには幼児洗礼はありません。ぼくは胎児の頃から礼拝に出席していたわけですが、洗礼の勧めがあったのは中学2年生の秋でした。あまり幼児からのキリスト教教育は日本の現実社会への適合能力を損ねる、というのがぼく自身の実感です。
本来クリスチャンであることは修行も資格もいらないことです。まして療養中や成人病や収入がどうであろうと。ただ主の赤子であることを認め、祈りの器として用いられること、それだけです。決して自分のためには祈らず他者のためのみに祈れるかがパウロの提起した条件です。
悪しかれ、というのは弱者尊重が実際には偽善的に行われる例もあるからです。また、平均的な教会(信徒20名程度)の牧師の平均月給は4人家族で14万円、ボーナス年間2か月分ほど。これでは牧師さん自身が社会的弱者です。