人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(16)ザ・フォーク・クルセダーズ

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普通GSにも含まれずロックとしても語られないが、日本の60年代ロック最大の革新者は前期では寺内タケシ、後期ではザ・フォーク・クルセダーズだろう。寺内の功績はジミ・ヘンドリックス的なものだった(寺内は「俺の方が偉い」と言うだろうが)。また、後年YMOも言及したように電気楽器による音楽表現の先駆者だった。「はじめにエレキありき」という発想はヴェンチャーズの「ポップスをエレキで」という発想を推し進めたあげく裏返ってしまったもので、およそこの世の音楽ならすべてをエレキ化する寺内は音楽面で既製の価値観を逆転させた怪人だった。

GSと同時期に主に大学生にアメリカのフォーク・ソング・ブームがあり、加藤和彦北山修を中心としたフォークルは京都の人気グループだった。フォークはあくまでアマチュア精神なので彼らもプロは目指していなかった。大学卒業を前に解散記念アルバム「ハレンチ」1967.10を300枚自主制作してそれきりのはずだったが突然変異的怪作『帰ってきたヨッパライ』がラジオや有線のリクエストで人気爆発、12月には東芝から全国発売され大ヒット。フォークルは加藤・北山に友人バンドから端田宣彦を加え68年の1年間だけ活動することになる。掲載アルバムは、
○「紀元弐千年」1968.7(画像1)
○「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」1968.11(画像2)
○「フォークルさよならコンサート」1969.2(画像3)

その後、端田の代わりに坂崎幸之助(アルフィー)を迎えた2002年の期間限定再結成、06年のサディスティック・ミカ・バンド再結成から09年の加藤の突然の自殺(診断は老人性鬱。加藤と親しかった音楽評論家の今野裕二、中村とうようも連鎖的に自殺)など、加藤は生涯トリックスター的存在だった。

68年1年間の活動でシングル8枚、アルバム3枚(うち2枚はライヴだが、ライヴ録音のオリジナル・アルバムというべき、明確なコンセプトを持ったもの)と、フォークルの人気と独創性に匹敵するGSはいなかった。同じく東芝所属の、もはや誰にもGSと呼ばせないアンダーグラウンド・バンド、ジャックスが唯一対抗できる存在だった(だがジャックスはまったく売れなかった)。「紀元弐千年」が68年7月、「ジャックスの世界」が同年9月。この2枚がGSに引導を渡した。