人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

若松孝二「胎児が密猟する時」'66

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先日、10月17日に若松孝二監督(1936年宮城県生れ・享年77歳)が事故死し、日本映画にまたひとつ大きな穴が空いた感じがする。日活ロマンポルノの巨匠・神代辰巳、ATG映画末期の大器・相米慎二らも既に亡く、80年代映画のダークホース・伊丹十三も不審死し、大島渚の復帰も望めない。70代にして「あさま山荘 連合赤軍への道」や「キャタピラー」、来春公開予定(完成済み)の「千年の愉楽」などを次々と撮り続ける若松監督は映画の希望だった。本来ピンク映画の出身で、これはよく日活ロマンポルノと混同されるが(3本立て公開の中に外注のピンク映画を1本入れていたのも混乱の原因だが)、ロマンポルノは1972年にスタートした大手映画会社の成人映画シリーズで、ピンク映画は60年代初頭から独立プロ制作で全国津々浦々の小映画館に細々と配給されていた。

やくざのチンピラ上がりで傷害事件の前科を持つ若松がトップクラスの学歴が条件の大手映画会社に入れるわけはない。だがピンク映画界は若松の才能を見出だし、27歳で監督第一作「甘い罠」1963を任せる。これがヒットし、以後2年間の監督作もピンク映画では異例の成績をあげる。監督は自分自身の若松プロダクションを立ち上げ、大和屋竺足立正生ら意欲的な若手を集める。それが1965年で、若松プロはベルリン映画祭に「壁の中の秘事」を出品、高い評価を受け、一躍時の人となる。そして66年に制作・発表され若松作品屈指の代表作になったのが「胎児が密猟する時」(脚本=大谷義明、出演=山谷初男、志摩みゆき・B/Wワイド72分)になる。

これは「丸木戸定男」と名乗る男が一人の女を誘拐・監禁しひたすら拷問する、という密室劇で、舞台設定だけなら「コレクター」(英・米65、ワイラー)に近く、主人公の内面性は「ラストタンゴ・イン・パリ」(伊72、ベルトリッチ)の先駆をなす。これらの外国映画と異なるのは主人公の動機で、逆転したマザー・コンプレックスが徹底的な女性嫌悪に向わせている、と描かれている。

だが「コレクター」のテーマは労働者階級の青年と中産階級の女学生とのコミュニケーションの不可能性であり、「ラストタンゴ」は失意の果てに匿名性に埋没した性関係に没入する男の話だった。「胎児」はどこか深みに欠ける。社会的な視点の欠如を感じる。これは後年の若松作品にも通じるように思える。