人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年5月10~12日/蔵原惟繕(1927-2007)と日活映画の'57~'67年(4)

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 昭和39年('64年)、日本の映画界は最大のピンチを迎えました。日本の映画人口が史上最大を記録したのは昭和33年('58年)で12億2,745万人、年間映画観覧数人口比12.3倍となり日本人一人当たり年に12.3回映画を観ていたことになりますが、翌昭和34年('59年)からテレビの普及で映画人口は減り続け、昭和36年('61年)には大手6社のうち新東宝が製作中止してテレビ放映権を売却、事実上倒産します。昭和38年には映画観客数は昭和33年の47%まで減少し、全国の映画館数も減少してしまいます。そして昭和39年('64年)は映画界が最大に懸念していた東京オリンピックが開催されました。日本は世界有数のテレビ普及国となり、大手5社トップの興行収入を誇った東映も減産体制に入ります。松竹が武智鉄二を監督に迎えて『白日夢』『紅閨夢』を製作・公開して物議をかもしたのもエロティック路線で活路を開こうとしたからですが、インディー映画のピンク映画の興隆もこの頃で、翌昭和40年には日活が武智鉄二を迎えて製作・公開した『黒い雪』は猥褻罪で日活の担当者と監督の武智が起訴されてしまいます。昭和40年('65年)日本映画空前のヒット作になったのが東宝の公式記録映画『東京オリンピック』だったのも皮肉な現象でした。同作のヒットにより昭和34年から昭和39年まで東映に次ぐ業界2位だった日活も昭和39年の業績は東映東宝に次ぐ3位に下がり、『黒い雪』起訴事件が発端で管理職の人事異動から希望退職者の募集や人事関連の確執が拡大し、昭和42年('67年)から翌年にかけては管理職トップの一斉退社・監督馘首を始め大混乱の中で所有物件を次々売却、日活全体の路線変更が打ち出されます。今回、往年の日活映画を観直すのに昭和32年から昭和42年までの作品に限ったのはそうした背景からですが、'70年代には日活は世界の映画界で例がないメジャー映画社のポルノ映画路線を打ち出すまでになったので、松竹とともに日本でもっとも早くから発足したメジャー映画社でありながら日活の栄枯盛衰は安定した松竹とは対照的で、日活映画での映画全盛期の最後の残り香が見られるのも昭和39年~42年の時期の作品です。なお、歴史的意義を鑑み、今回もご紹介する日活映画については初公開時のキネマ旬報の紹介文を引用させていただきました。

●5月10日(金)
中平康(1926-1978)『月曜日のユカ』(日活'64.3.4)*94min, B&W : https://youtu.be/CI5yWQ3IQis (trailer)

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 本当は同年作でもさらに過激な『砂の上の植物群』にしたかったのですが、同作は未DVD化で5年ほど前に中平康の日活作品のセレクションDVD化が行われた時にラインナップに上がっていながら発売中止になり、いまだ発売のかなわない作品です。中平康没後20周年の記念上映では好評で同時期にNHK-BSでも深夜放映され、当時はまだ家庭用DVDレコーダー普及前(DVD自体も普及前)だったのでVHSテープに録画したのを持っているはずですが、肝心なビデオプレーヤーが壊れてからは修理も買い直しもしていないのでビデオテープも死蔵状態にある。日活が発売中止にしたのは同作が吉行淳之介の原作通りですが、女子高生を買春した中年男が女子高生に異母姉を誘惑してほしいと頼まれ関係したあとでその姉がマゾヒストの上にどうも死んだ自分の父の愛人の娘らしい、という近親相姦疑惑ポルノ小説なのですが、近親相姦よりも女子高生というのが都条令に引っかかるわけです。歴史的作品でフィクションなんだからいいじゃないかというところですが日活は『黒い雪』、ロマンポルノ時代とぴりぴりしてきたので用心深くなっている。『月曜日のユカ』がヌーヴェル・ヴァーグ的作品だとすれば『砂の上の植物群』はアントニオーニに張りあって見事な成果を見せた作品で、'60年代の映画でも最先端を行った傑作です。しかし中平康の損な点はどんな企画でも易々と抜群の出来の映画に仕上げてしまうことで、『狂った果実』『牛乳屋フランキー』『紅の翼』『あいつと私』と何を撮っても快作になる。日活解雇直前に残したGS映画『スパイダースの大進撃』'68などまったくやる気がなく酒をあおりながら監督したと伝えられますが、それでも数ある当時のGS映画中最高の出来ばえになっています。GS映画でちゃんとリップ・シンクしている映画は『スパイダースの大進撃』を除けばほとんどないのは当時の日本の映画監督がGS映画などしょせん企画物と侮っていたからですが、中平康はなげやりにGS映画を撮ってもリチャード・レスタービートルズ映画と遜色ないものを作る。尊敬していた川島雄三らにはともかく同僚・後輩、俳優、批評家には傲岸不遜な自信家だったのが生前の正当な評価を妨げた節があり、ましてや最先端の外国映画の向こうを張る技巧家となるとかえって反発を招いたとも思われ、一部の代表作を除くと再上映の機会も少なければ国内外での再評価もたち遅れ、映像ソフト化も進んでいない監督です。昭和39年の中平作品は本作『月曜日のユカ』を始め『猟人日記』『砂の上の植物群』『おんなの渦と渕と流れ』と背徳エロス路線で、この中では頭一つ抜けて『砂の上の植物群』がいい。ラストのエレベーター内の長い固定ショットのキスシーンのシークエンス(キスを続ける仲谷昇稲野和子のアップの背景で1階ごとにエレベーターのドアが開閉してフロアが映る)だけでも戦慄が走るもので、アントニオーニの映画もラストの1シークエンスで映画全体がひっくり返るものでしたが、『砂の上の植物群』ではあざといまでに鮮やかにアントニオーニの本家取りをやって大成功を収めており、ちなみに脚本は中平康池田一朗(のちの作家・隆慶一郎)にのちのロマンポルノ時代の巨匠・加藤彰です。原作小説より優れた映画になるのも当たり前なのですが、同作公開(8月29日)の3週後の斎藤武市監督・吉永小百合浜田光夫主演のベストセラーの実話映画化『愛と死をみつめて』(9月19日公開)が昭和39年度の日活最大のヒット作になったのは皮肉で、『黒い雪』の猥褻罪告訴事件とともにアクションが駄目ならエロスと仕掛けたらエロスもコケて純愛映画が受けてしまったのがのちの純愛映画路線への製作変更につながるのもこの年始まっていたことになります。娼婦の娘の無邪気な生態を描いた『月曜日のユカ』が人気作品なのは'60年代のポップ・イコン加賀まりこが主演したスタイリッシュな映画に仕上がっているからですが、加賀がヒロインの篠田正浩作品『乾いた花』'64、本作、大島渚作品『悦楽』'65など加賀まりこじゃなかったら良かったのに、と思わせられるようなところがある。安川実ことミッキー安川の原作は実在のモデルに材をとったものだそうですし、加賀まりこは役柄によくなじんでいるのですが、このヒロインは新しいタイプの女に見えて古典的な娼婦型女性の類型から大して出ておらず、そこが古くさく見えるのです。本作も初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 安川実の原作を「学園広場」の斎藤耕一倉本聰が共同で脚色、「光る海」の中平康が監督した風俗ドラマ。撮影もコンビの山崎善弘。
[ あらすじ ] 横浜の外国人客が多い上流ナイトクラブ"サンフランシスコ"では、今日もユカ(加賀まりこ)と呼ばれる十八歳の女の子が人気を集めていた。さまざまな伝説を身のまわりに撒きちらす女、平気で男と寝るがキスだけはさせない、教会にもかよう。彼女にとっては当り前の生活も、人からみれば異様にうつった。横浜のユカのアパートで、ユカがパパ(加藤武)と呼んでいる船荷会社の社長は、初老の男だがユカにとってはパパを幸福にしてあげたいという気持でいっぱいだ。ある日曜日、ユカがボーイフレンドの修(中尾彬)と街を歩いていた時、ショウウィンドウをのぞいて素晴しい人形を、その娘に買ってやっている嬉しそうなパパをみた時から、ユカもそんな風にパパを喜ばせたいと思った。ユカの目的は男をよろこばすだけだったから。だが、日曜はパパが家庭ですごす日だった。そこでユカはパパに月曜日を彼女のためにあげるようにねだった。月曜日がやって来た。着飾ったユカは母(北林谷栄)とともにパパに会いにホテルのロビーに出た。今日こそパパに人形を買ってもらおうと幸福に充ちていた。だが、ユカがパパから聞されたのは、取り引きのため「外人船長と寝て欲しい」という願いだった。ユカはパパを喜ばすために、船長(ウィリアム・バッソン)と寝る決心をした。その決心を咎める修にユカはキスしても良いと告げる。ユカを殴り出て行く修。ユカは幼い頃母親の情事を見ていたのを牧師(ハロルド・S・コンウェイ)に咎められたことを思い出すのだった。修が死んだ。外人船長に抗議するために船に乗り込もうとして事故死したのだった。ユカは修にキスをして波止場を立ち去る。パパとの約束通りユカは船長に抱かれた。落ち込んだユカだったが埠頭でパパと踊り狂う。踊り疲れたパパは海へ落ちてしまう。溺れ沈むパパをしばらく見ていたユカだったが、やがて無関心に去って行った。
 ――ヌーヴェル・ヴァーグ的、というよりはブリジット・バルドー映画の日本版みたいに見えると言っても悪口ばかりにはならないはずですが、本作は新しいようで単に世代が若いだけで古いタイプのヒロインを新しく見せようとして映像に凝った作品のように見える。中平康に本作のユカがいつの時代にもいるありふれた娼婦型の女と気づいているのはユカが「女の生きがいは男を喜ばせること」という私娼の母の言いつけに忠実で信じて疑わず、まったく同じタイプの母娘に描いていることでも明白で、そこから結末ではユカが「パパ」を見捨てたように見えてもパパの喜びは自分の価値にではないと気づいたからにすぎないので、加賀まりこの演じるユカの性格に本質的な変化が起こったとは感じられません。中平康はヒットを連発しても映画賞とは無縁だったのでヒッチコックだって映画賞には選ばれないじゃないかと毒づいていたそうですが、本作はヒッチコックを引きあいに出すわけにはいかない。ヒッチコックは映画観客とは目的を持った主人公が犯罪者であれ被疑者であれ目的を達成しようとするのを観たがるものだ、という持論がありました。ずるずると自分の異母妹かもしれないマゾヒスト女とのSM性愛に溺れていく男を描いた『砂の上の植物群』にサスペンスがあって『月曜日のユカ』にサスペンスが不足しているのはヒロインがまったく受動的だからで、どうも本作前後の加賀まりこのヒロイン作を見ると加賀をなるべく動かさないことで周囲が動く仕組みのドラマにして新味を狙ってしくじっているようで、ヒロイン映画として本作の加賀のキャラクターを見ても『狂った果実』の北原三枝の女性像の新しさ、主要人物全員が破滅する壮絶さにはおよばない。ヌーヴェル・ヴァーグより早くヌーヴェル・ヴァーグを先取りした『狂った果実』よりも本作が後退して、その分映像だけは凝った作品になったのは人物の運命を追究するだけの構想がこの映画には欠けていたからで、それは『砂の上の植物群』では挽回されたと思えるだけに『月曜日のユカ』が手軽に観られて『砂の上の植物群』が容易に観られないのは残念です。また中平康昭和36年~昭和43年の間の日活映画でも最重要監督だけに、鈴木清順蔵原惟繕のDVDボックスが海外盤で出るなら中平康はまだかともどかしく、本作1作だけで語るにはもっとも不本意な監督です。

●5月11日(土)
蔵原惟繕(1927-2002)『黒い太陽』(日活'64.4.19)*95min, B&W : https://youtu.be/gQZlLTSb1Og (Full Movie)

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 これまた米Criterion社の蔵原惟繕作品DVDボックスで初DVD化された作品で、同ボックスには『ある脅迫』『狂熱の季節』『憎いあンちくしょう』に本作と『愛の渇き』'67の5作が収録されていますが、日活が国内盤を出している石原裕次郎主演の『憎いあンちくしょう』と浅丘ルリ子主演の『愛の渇き』以外の3作は稀に特集上映されることはあってもテレビ放映はおろか国内盤DVD化が望めない作品で、『ある脅迫』は1時間強の中編かつ金子信雄西村晃主演という渋すぎるキャストに現在のセキュリティー常識では話が古すぎてマニア向け作品すぎるからですが、『狂熱の季節』は未成年買春が堂々と描かれれば差別用語もびしばし飛びかう不良青年もの、と反社会要素に満ちみちており、本作『黒い太陽』は原作も『狂熱の季節』と同じ河野典生なら脚本も同作と同じ山田信夫が手がけており、主演も川内民夫なら役名も「明」でキャラクターも『狂熱の季節』の明の延長と、直接同作とのつながりは語られませんが明の女友だちで出てくるユキ(千代侑子)も『狂熱の季節』のヒロインでしたから、直接の続編ではなくても同一キャラクターを使ったヴァリエーションと言えます。本作で描かれるのは殺人犯の黒人脱走兵ギル(チコ・ローランド)と明(本人は脱走兵に自分の名を「メイ」と名乗ります)のディスコミュニケーションと幻滅の逃避行であり、ユキは冒頭少しの登場だけですぐに明が廃教会に隠れていた黒人兵との邂逅に移り、クライマックスでついに追っ手に追いつめられるまでドラマは主人公と脱走兵二人だけの逃避行に絞られます。本作はポスターが現存しないらしく中平康監督・仲谷昇戸川昌子(兼原作)の『猟人日記』との2本立て興行で封切られ、『猟人日記』も20年前にBS放映されたきりDVD化されませんがなかなかの淫靡な犯罪サスペンスで、『猟人日記』と『黒い太陽』の2本立てとは東京オリンピック半年前の微妙な時期とはいえとても映画創生期からの歴史を持つメジャー映画社の企画とは思えません。インディペンデント映画社の持ち寄り上映、つまり中平プロダクションと蔵原プロダクションの新作合同公開の観があり、『猟人日記』はまだしも国内盤DVD化は可能でしょうが『黒い太陽』は差別用語はもとより駐留アメリカ軍人、しかも黒人兵を犯罪者として描いた内容が製作国の日本では人種偏見や反米感情を助長する内容として自粛の対象になっていると思われ、にもかかわらずアメリカの映画批評家は本作を文化的衝突を描いた特異なアンチ・バディ・ムーヴィーとして注目している。Criterion盤DVDの解説では本作を『狂熱の季節』を大島渚の『太陽の墓場』'60と鈴木清順の『肉体の門』'64のカオスに進めたもので、さらに大島渚の『飼育』'61と短編ドキュメンタリー「ユンボギの日記」'65の間に位置づけています。また1964年前半にはまだアメリカの南部の州の大半はアパルトヘイト制度をとっており、黒人女性や児童への白人のリンチは暴行・殺害にいたらしめても無罪でした。マーティン・ルーサー・キング牧師をリーダーとする黒人公民権運動によってアメリカ政権が公民権法を制定したのは'64年7月であり、キング牧師は同年末ノーベル平和賞受賞者になりましたが、非暴力主義のキング牧師に対して闘争派の黒人運動のリーダーだったマルコムXは'65年2月に暗殺され、またヴェトナム戦争反戦運動に進んだキング牧師も'68年4月には犯罪常習者の白人に殺害されてしまいます。ソニー・ロリンズが'63年に初来日公演を行った際、記者会見で「国外ではジャズ演奏家としてあつかわれていますが、アメリカではただの黒人です」と発言したそうですが、本作はそういう時代が背景なのを留意する必要がある。アメリカ盤DVDの解説は本作からそのニュアンスをきちんとくんでいる的確な批評ですが、それをご紹介する前に本作も初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 河野典生の原作を「駈け出し刑事」の山田信夫が脚色、「何か面白いことないか」の蔵原惟繕が監督した社会ドラマ。撮影は金宇満司
[ あらすじ ] 明(川地民夫)は黒人のジャズに憑かれたファンキー族だ。衝動だけが明の行動を支配していた。バイタリティに溢れる黒人のムードを彼は敬愛していた。街に出た明はポンコツ車を手に入れると、ドライブへ出た。折しも、白人二人を射殺して逃走中の黒人兵ギル(チコ・ローランド)を追って、MPと日本警察が躍起になっていた。その夜、廃墟で黒人兵ギルに会った明は、黒人を見た感激に震えながら親愛感にひたったが興奮したギルは、明の黒人に対する強いあこがれを完全にくずした。姿を消していたギルが戻って来た日、やはり機関銃をつきつけて横柄な態度のギルと明はにらみ合っていた。激しい疲労の末、睡魔に襲われたギルのすきに、機関銃を奪い取り形勢を逆転した明は、その日からギルを完全にロボットにした。白ペンキでギルの顔を塗りつぶして逃走する明、臨時ニュースは、白人に変装して逃走するギルのニュースを告げていた。海に面した海岸で突然、強気なギルが泥水で顔を洗いながら嗚咽するさまをみて、明は今迄の憎しみがうすらいだ。警察の包囲のサーチライトの光りの中、明は機関銃で応戦しながらギルを抱きあげてビルの屋上に登り海を見せようとした。「海へ行かせてくれ!神さまのところへ……」広告用のアドバルンに身体をつけて黒いキリスト、ギルは太陽に迎えられて空中へと舞い上った。
 ――本作の音楽は黛敏郎で、'70年代以降は保守右派の文化人となった黛ですが大学生時代はジャズ・バンドを率いていた経験もあり、黛がマックス・ローチ・カルテットに依頼した音楽を全編に使用しています。映画冒頭で川内民夫がマックス・ローチ(ドラムス)のアルバム『Black Sun』のジャケットをレコード店店頭で手にとる場面があるのですが、実はそんなレコードは存在しなくて本作のサントラは'64年のローチのワンホーン・カルテット(クリフォード・ジョーダン=テナー、ロニー・マシューズ=ピアノ、エディ・カーン=ベース)と、ジョーダンがローチのバンドとチャールズ・ミンガスのバンドをかけもちしていた頃の録音(このメンバーでのローチ・カルテットは公式録音を残さず'90年代にヨーロッパ公演のライヴが2種出回っただけです)で、2007年に日本のジャズのインディー・レーベルから黛敏郎/マックス・ローチ名義の2枚組CD『黒い太陽/狂熱の季節』としてリリースされるまで存在しないアルバムでした(もちろんジャケットも違います)。初回プレスのみの発売だったため現在4万円近いプレミア価格でコレクターズ・アイテム化しています。この頃のローチ・カルテットは当時ローチ夫人だった歌手アビー・リンカーンが帯同していたので映画サントラでもアビー・リンカーンのヴォーカル曲があります。『狂熱の季節』の明も黒人ジャズの心酔者でしたが本作でも同様で、飼い犬に(セロニアス・)モンクと名をつけており、廃教会でマシンガンを抱えて負傷し隠れていた黒人兵に出会うと初めて近づいた本物の黒人に興奮し、カタカナ英語でアイ・ラヴ・ニグロ・ジャズ、アイ・ラヴ・マイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンソニー・ロリンズセロニアス・モンクチャールズ・ミンガスマックス・ローチアビー・リンカーン、アイ・アム・ユア・フレンドと熱狂的に話しかけるのですが、脱走の際に上官か民間人を殺害してきており自分も狙撃され負傷し興奮かつ焦燥している黒人兵には明のカタカナ英語は通じないしそもそも冷静な判断力を失っている。ここからディスコミュニケーションと幻滅のうちに明は黒人兵の逃走を助け、悪化する負傷の世話を焼くことになるのですが、自分が世話している黒人兵が感謝の様子もなくまるで気持が通じないので明は「歌も歌えねえ、ジャズもできねえ!ただの黒んぼじゃねえか!」と怒りを爆発させて放置してしまう。負傷した脚に蛆がわき膿が溜まって苦痛にのたうつ黒人兵が「マザー!」と叫んで、伝承歌「マザーレス・チャイルド」をうめきながら歌い出すのはその時で、明と観客はこの時初めてこの黒人兵が一人の人間であり戦勝国アメリカの駐留兵である以前に日本に連れてこられた黒人奴隷なのだ、と気づきます(アメリカ盤DVDの解説が強調しているのもこの点です)。明はナイフで黒人兵の脚を切開して銃弾を摘出しウィスキーで消毒し(この描写も違法医療に抵触します)、痛みの鎮痛した黒人兵ギルはようやく明と名前をかわすまでに信頼を寄せるようになります。しかし逃避行はついに港に二人が追いつめられるまでつづくので、十分なコミュニケーションが取れず打つ手もない明とギルは明の思いつきにギルが従う具合に真の平等な友情には発展せず、嫌がるギルの顔をペンキで白塗りにする方法を取らざるを得ない。それでも波止場に追いつめられた二人は、ギルが広告用アドバルーンの綱に昇り明がマシンガンで応戦してクライマックスを迎えますが、ギルはアドバルーンの綱を切ってくれと明に叫び明はマシンガンで綱を切ります。なおも応戦する明は組み伏せられ、ギルを下げたアドバルーンは海の彼方に消えて綱をつかんだ逆光のシルエットが十字架にかけられたまま飛んでいくように見える。カメラは太陽にパンして終わります。同じ太陽にパンして終わるラスト・ショットでも『憎いあンちくしょう』とは大違いで、山田信夫の脚本は『狂熱の季節』からさらに冴えており、本作のような黒人像を描いた映画は逆に当時アメリカでは作り得なかったと思えばこの映画は歴史的価値以上のものがあり、ヒロイン不在の逃走劇という作りといい、観客に要求される鑑賞力の高さといいプログラム・ピクチャー枠でメジャー映画社が送り出した作品としては極限まで迫った野心作であり、蔵原惟繕山田信夫とも『狂熱の季節』の川内民夫の「明」の延長にこの黒人ジャズ心酔者の青年像から日本人が黒人ジャズに心酔するという皮肉をもっと過酷に描けないか、と再び難解な河野典生の原作に挑んだと思われます。おそらく上層部には同種の企画の成功した先例にはアメリカのヒット作『手錠のままの脱獄』'58があると通したのでしょうが、本作の川内とローランドの自発性と断絶は『手錠のままの脱獄』の図式性とはまったく異質で徹底したものであり、観客の容易な理解を拒む映画だけに娯楽映画としては失敗作とされても仕方ない作品ですが、これだけは作りたかったというモチベーションの高さと切迫感は伝わってくる点では本作には無類の価値があります。

●5月12日(日)
鈴木清順(1923-2017)『東京流れ者』(日活'66.4.10)*88min, Color : https://youtu.be/0wRw7DQK7Sk (Full Movie)

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 数ある鈴木清順の監督作の中でも明快なかっこ良さとけれん味が無理なく両立し、映画的な荒唐無稽さが設定・キャラクター・物語にも満ちみちているにもかかわらずわざとらしさを感じずすっきり観せられてしまう、それでいて鈴木清順監督作ならではの面白い感覚にあふれている点では初めて鈴木清順監督作を観るにはこの『東京流れ者』はもっともお薦めできる作品ではないかと思います。傑作というなら本作より『探偵事務所23』『野獣の青春』『肉体の門』『春婦伝』『河内カルメン』『けんかえれじい』などより奔放な作品が思い当たりますし、ブランク後の復活作『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』はようやく鈴木清順をプログラム・ピクチャーにとどまらない映画監督と認知させたものでした。また日活馘首問題にまで発展した『殺しの烙印』は結果的に日活時代の鈴木清順の代表作と見なされるようにまでなっている。日活初期~中期の監督作は膨大なので筆者も全部は観ていないのですが、鈴木清順の映画をDVDで何か観直そうかなという時に真っ先に思い浮かぶのが筆者の場合はこの『東京流れ者』で、テレビ放映頻度も昔から高かった作品ですし録画したビデオテープ、入手したDVDで何度観直したかわかりません。主題歌の「東京流れ者」が一度聴けば忘れられない怪作曲ですし、「月光仮面」「七色仮面」「太陽仮面」「アラーの使者」から'70年代の「愛の戦士レインボーマン」「ダイヤモンド・アイ」「正義のシンボル・コンドールマン」までヒーローものの原作者である川内康範が原作・脚本(日活作品では先に小林旭主演の「銀座扇風児」シリーズを手がけています)と、鈴木清順以上に頭のネジの飛んだ人による原作・脚本だったのがちょうど良い加減を生んだように思います。本作でも突拍子もないサウンド処理や美術、照明、撮影が平然と行われていますが映画の内容があまりに門切り型であるためにエレクトリック紙芝居たる映画としては技巧的な実験性がかえって浮いて見えない。銃声一発、撃たれた女が床に崩れたとたんにカメラは真上からのショットになり照明も黄色一色になっている、というのが不自然ではないのも本作はリアリズムの映画ではまったくないからで、川内康範の想像力の中では現実の出来事はバットマンとジョーカーの戦い(の日本版)と等価ですから、この人の考える正義や愛や仁義というものはリアリズムではなく一種のイデアなので、そうしたイデアの世界の中のドラマとして『東京流れ者』のリアリティの水準は設定されています。本作の渡哲也は「戦わない、耐える、赦す」ことを選んだヒーローであり、それゆえに戦いを避ける流れ者にならざるを得なくなった渡が親分の裏切りにより敵味方の両方に狙われてみずからの信念の虚しさを知り、事態を解決して改めて今度は自己の意志で流れ者の道に戻っていく話で、意外にも主人公の自己認識の変遷を描くというドラマ構造の明確さではあまたある日活映画でも基本になる主人公の価値転換がしっかり描かれている。これは裕次郎・旭・錠らダイヤモンド・ラインの主演俳優たちが映画冒頭から結末まで性格は不変なのとは違っており、本作の渡哲也は映画冒頭の無抵抗主義を貫く人物から結末までには無抵抗主義は選択肢の一つと自己客観性を持つ強固な意志的人物に成長しており、自分を慕う松原智恵子を助けてなお「流れ者に女はいらないぜ」と颯爽と去っていくのであり、渡哲也の良いところはこの台詞がちっとも情緒纏綿としないところで裕次郎だと湿っぽく、旭だと痩せ我慢ぽく、錠だと陰気に響くと思うと渡哲也だとごく当然な別れの言葉になる。おおっと思うような突出した感覚、異様な展開、眩暈感や高揚感では他の清順作品の傑作に譲りますが、まんべんなくムードの行き届いた心地よさが本作を外せない作品にしていて、これがもっと高カロリーな『春婦伝』や『肉体の門』だと観客にもっとフラストレーションを残したまま突き放されたような感じのある傑作なので観直したい気は本作ほど起こらないのです。本作も初公開時のキネマ旬報の紹介を引きますが、例によって一介のプログラム・ピクチャーとして粗略な紹介です。
[ 解説 ] 川内康範が原作とシナリオを執筆、「河内カルメン」の鈴木清順が監督したアクションもの。撮影もコンビの峰重義。
[ あらすじ ] 流れ者の歌をくちづさむ本堂哲也(渡哲也)を、数名の男がとり囲んだ。彼らは、哲也の属する倉田組が、やくざ稼業から不動産業にかわったのを根にもち、ことごとく倉田組に喧嘩をうろうとする大塚組のものであった。だが哲也は倉田(北龍二)の無抵抗主義を守りぬいた。哲也は恋仲の歌手千春(松原智恵子)と結婚して、やくざをやめる決心をしていた。倉田は経営が苦しく金融業の吉井(日野道夫)からビルを担保に金を貸りていた。哲也はそれを知ると単身吉井に会い手形延期を申し込んだ。これを大塚(江角英明)のスパイで、事務員の睦子(浜川智子)から聞いた大塚は、部下を使い吉井に担保のビルの権利書一切を渡せと脅した。電話で権利書をとられ、吉井が殺されたことを知った哲也は、怒りに身をふるわせた。大塚は邪魔者の哲也を殺すため殺し屋辰造(川地民夫)を雇った。だが辰造は哲也の敵ではなかった。その頃大塚は倉田に哲也とひきかえにビルの問題から手をひくともちかけた。かげでこれを聞いた哲也は単身大阪に発った。だが辰造はしつこく哲也を追った。一方東京では大塚が、権利書を戻すかわりに、ビルの地下で千春にクラブ商売をさせて欲しいと申し出た。倉田は自分の利益のために哲也を見殺しにしようとしていた。東京に帰った哲也は、千春を捜した。しかし千春は、哲也が殺されたと聞かされ大塚のクラブに出ていた。哲也と千春を慕う敬一(吉田毅)は、千春に哲也の健在を知らせ哲也に千春のいる場所を知らせた。怒った哲也は、倉田、大塚に銃弾をむけた。悽惨な死闘の末、哲也はやくざのみにくさを思い知らされた。夢をなくした哲也は、千春に書置きを残すとどこへともなく去っていった。
 ――本作も人物配置に『錆びたナイフ』『赤い波止場』や『拳銃残酷物語』など日活の先行作品との類似がありますが、これら外国のギャング映画の日本版(さらに西部劇的要素も含む)はドラマの組み立てに大なり小なり重複する要素が入りこみやすいとも言えて、似通った要素が入ってきても相互影響や模倣とは言えないでしょう。しかしまあ、この映画日記は歴史的参考文献として初公開時のキネマ旬報の紹介を参観することが多いですが、ヨーロッパ映画の紹介など煩瑣なほど細かくあらすじが書かれているのに対し日本映画、それもプログラム・ピクチャーとなると一応記録に載せておくといった程度に映画会社のプレスシートをそのまま載せただけと思われるもので、本作は準主演級で「流れ星の健」の二谷英明が「不死鳥の哲」こと渡哲也の兄貴分として登場してきますが、敵役ならともかく渡を見守る役なのであらすじには関係ないと割愛されてしまっています。確かにあまり印象に残る役ではなく、二谷英明だからこの兄貴分は主人公の乗りこえなくてはならない何らかの役割なんだろうなと思っていると同じ英明でも日活の悪役は江角英明の担う時代になっていて、7、8年前なら二谷(昭和5年生まれ)が担っていた悪役を江角(昭和10年生まれ)が演じているのを観るとああそうだったっけと思い、忘れた頃に本作を観直すごとに渡哲也の若さに驚きます。本作出演時24歳だから当然なのですが、映画を観てしばらく経つと内容や貫禄からも本作の渡の印象は若くても20代後半くらいに変化していくので、本作作中の時間経過は3か月~半年未満でしょうが、映画冒頭から結末までの渡の精神的成長が5年分あまりに感じられるためこの印象が起こると考えられる。キネマ旬報のあらすじは意図的な歪曲ではなく日活のプレスシートをそのまま載せただけでしょうが、結末部分はこのあらすじに書かれているのとはまったく違う映画になっています。ネタバレというのではなく本作の結末は文字に起こすのが非常に困難で、映像で描かれたものを文章にするとニュアンスやこめられた意味そのものが変わってしまうようなものです。しかもおそらく台詞やト書きは脚本に忠実なので、脚本を推定して台詞と動作を文章で描いても紋切り型の果たし合いと救出した女との別れではないか、となってしまう。鈴木清順はその紋切り型の脚本だからこそ絶妙の腕の振るいがいがあったに違いなく、本作が安定したムードの持続した好作になったのも脚本全編がそういうものだったから、と言えそうです。主題歌「東京流れ者」が作曲者不明の伝承歌(歌詞違いヴァージョン多数)というのも良い話ではありませんか。また本作のジャズ喫茶(ディスコティーク)場面では'66年4月にデビュー・アルバムを出したばかりのザ・スパイダースの「フリフリ'66」が流れます。渡哲也が歌う「東京流れ者」同様テイチク盤で日活がテイチクと提携していたからですが、ここでゴダールの『軽蔑』'63(日本公開'64年11月)を思わせる音声処理がさりげなく使われているのにもご注意ください。