人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(26a)ジャッキー・マクリーン(as)

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Jackie McLean(1931-2006,as)。この人の逝去を日曜の朝刊で知った時はジャズ関係の友人知人に電話をかけまくり、不審がる妻に口笛で『レフト・アローン』を吹いて説明したものだ。21世紀になってからはフレディ・ハバードの死去も悲しく、奇しくも同年生れで同年逝去のジョニー・グリフィンとボ・ディドリー(接点無さすぎ!)の冥福も祈ったが、ぼくはアルト吹きだからマクリーンは特別な人だった。パーカーを別格とすればアート・ペッパーリー・コニッツジャッキー・マクリーンエリック・ドルフィー、あとフィル・ウッズを加えてもいいが、現存者はコニッツとウッズ、オーネット・コールマンくらいしかジャズ史の生き証人クラスのアルト奏者はいなくなった。

ところでこの連載は25人で終るはずではなかったか?そんなわけにはいかない。ウィントン・マルサリスで終る連載などリー・モーガンが泣いている。そこで25人に洩れたジャズマンをあと最低でも5人は追加したい。では誰を、と考えたら真っ先に浮かんだのがこの人、ジャズを好きになる人なら必ず好きになる永遠の青年、ジャッキー・マクリーンなのだった。

なにしろマクリーンのCDをかけるといきなり部屋がジャズ・クラブになる。これは特に50年代のアルバムに顕著で、日本でもアメリカでのリリースからさほど遅れず発売されたプレスティッジ第2作「4、5&6」1956(画像2)は選曲の良さ(スタンダードとオリジナルの配分、程好く多彩な曲調)もあって今日までロング・セラーとなった。
ジャズ喫茶ではマクリーンは定番となり、入手困難だった初リーダー作「ジャッキー・マクリーンクインテット」1955(画像1)はジャズ喫茶のステイタスとなった。デビュー盤となったマイルス「ディグ」では一歳上のロリンズに圧されていたが、その後マイルス・バンド2枚に参加。ジョージ・ウォーリントン・クインテットのアルバム(1955)でスタイルを確立した後の初リーダー作だった。

マクリーンは56-57年だけで36枚の録音がある。チャールズ・ミンガスのバンドとジャズ・メッセンジャーズかけもちだったからで、リーダー作は9枚だが、あと1枚上げるなら「マクリーンズ・シーン」1957(画像3)がいい。本当にジャズならではの美しさがある。