人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャッキー・マクリーン Jackie Mclean - メロディー・フォー・メロニー Melody For Melonae (Blue Note, 1963)

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ジャッキー・マクリーン Jackie Mclean - メロディー・フォー・メロニー Melody For Melonae (Jackie McLean) (Blue Note, 1963) : https://youtu.be/LLlT7nLVVY8 - 13:17
Recorded at The Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, March 19, 1962
Released by Blue Note Records as the album "Let Freedom Ring", BLP-4106, May 1963
[ Personnel ]
Jackie McLean - alto saxophone, Walter Davis, Jr. - piano, Herbie Lewis - bass, Billy Higgins - drums

 ジャッキー・マクリーン(1930-2006)は前回取り上げたフィル・ウッズとともにチャーリー・パーカー生前からのパーカー派アルトサックス奏者としてもっとも若い世代で、学校の同級生にのちにブラウン&ローチ・クインテットのピアニストになるリッチー・パウエル(1930-1956)がおり、俺の兄貴はバド・パウエルなんだと言うので嘘つけ本当なら会わせろと言ったところパウエル家に招待され、俺は本物のバド・パウエルだがというのがジャズの世界に入ったきっかけで、そこで自分と同年輩のソニー・ロリンズ(テナーサックス)やパーカー・クインテットのパウエルから3代後のピアニストのウォルター・デイヴィスJr.に出会い、マイルス・デイヴィスの画期的なハード・バップ・アルバム『Dig』('51年10月録音)にロリンズとともに抜擢されるのですが、早熟でスタイル確立も早くすでにレコーディング経験もあったロリンズの余裕の演奏に較べてマクリーンの演奏はギリギリで、しかも悪いことにパーカー本人が録音を見学しに来ており、マクリーンはプレッシャーと劣等感を感じながらの初レコーディングだったそうです。フリーランスになったロリンズに対してマクリーンはその後しばらくマイルスのバンドのメンバーになり、マイルスのしごきを毎回のように受けながらライヴやレコーディングをこなしました。マクリーンはその後チャールズ・ミンガス・ジャズワークショップ、アート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズのメンバーになり年間アルバム20枚の猛烈な雇われ仕事を続けますが(マイルス、ミンガス、メッセンジャーズのモダン・ジャズ3大バンドをすべて渡り歩いたのはマクリーンだけです)、マクリーン自身が本当に作りたいアルバムを作れるようになったのは'60年代にブルー・ノートと契約してからで、レコード会社に手当たり次第に録音・リリースされたファンの多い'50年代のアルバムをマクリーン自身は「闇鍋料理だ」と嫌っています。
 '60年のオーネット・コールマンのニューヨークデビュー、コルトレーンやロリンズですら影響を受けたコールマンのフリー・ジャズにショックを受けたマクリーンは新路線第1弾アルバム『Let Freedom Ring』を'63年に発表、パーカーのビ・バップからハード・バップに進み、さらに意欲的な'60年代ジャズ路線に進んだマクリーンの本作は先鋭的な批評家から絶賛され、マクリーンは以降このアルバムの路線を'60年代いっぱい続け、コールマンとの共作アルバムも作りました。'70年代前半は音楽学校の教職に専念して一時的に引退しますが、'70年代半ばからの復帰後は演奏も安定したものになり、生涯現役を貫きました。

 このアルバムのオープニング曲「メロディー・フォー・メロニー」(メロニーはマクリーンの愛嬢の名前)はドラマチティックなテーマ・メロディーを持ち、13分あまりのロング・プレイは1コードでほとんどがマクリーンのアドリブ・ソロで占められています。コールマンやコルトレーン、ロリンズと違うのは同じような肉声的トーンで演奏されているにしても和声やスケール(音階)への実験性にまでいたっていないことで、その代わり思い切った高音域のシャウト奏法のロングトーンで激情を表現していますが、これはコールマンはもちろんコルトレーンエリック・ドルフィー、ロリンズらの名手は安易な手段として瞬間的なパッセージに稀にしか使わないものでした。マクリーンは白人パーカー派のウッズ、黒人でもキヤノンボール・アダレイらと較べるとテクニックのムラが目立ち、音程もうわずるか下がり気味かでふらつき、速いパッセージで12連連符のフレーズを吹こうとすると11音吹いて詰まってしまったり13音吹いてしまったりする。教職を経て'70年代半ば復帰した以降はテクニックは正確になりましたがアドリブ・フレーズのイマジネーションは乏しいプレイヤーになってしまいました。和声やスケール(音階)の逸脱まで進めなかったのは'50年代ジャズマンのほとんどが'60年代にぶつかった壁で、トランペットではマイルス、サックス奏者ではコルトレーンドルフィー、ロリンズらごく少数のジャズマンだけがコールマンへの親近感、または反感(マイルス)からなしとげたものですが、マクリーンの場合はこれでいい、十分じゃないかと思えるものです。'50年代~'60年代いっぱいのマクリーンの良さはその青くささにあり、これがやりたいんだ言いたいことがあるんだ、と強い訴求力が伝わってきます。ジャズにはそれがあればいいではありませんか。