人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

近松秋江「疑惑」(大正2年9月)

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 大正の私小説作家・近松秋江(画像・1876-1944)の初期代表作「疑惑」(大正2年9月=1913年)の冒頭部分をご紹介する。中期の「黒髪」、後期の「子の愛の為に」もいいが、愛に惑溺できる資質において、この百年の日本の小説で純粋さではこれを越えるものはないだろう。
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 それは悩ましい春の頃であった。私がお前を殺している光景が種々に想像させられた。昼間はあんまり明る過ぎたり、物の音がしたりして感情を集中することが出来ないから、大抵蒲団を引被って頭の中でお前を殺す處や私が牢に入った時のことを描いては書き直し、描いては書き直ししていた。何處に嫁づいているだろうと、それを探し出すことを考えながら、ちょうど呼吸を詰められたような気持で毎日々々同じことを繰返して想像するより他にしようと思うことがなかった。疲れた体を蒲団の中に横えてお前を殺す前後のことを思い続けているのが、まだしも一番慰めであった。
 そして色々に狼狽えた。警察署に家出人捜索願を出して見た。けれどそういうことは、警察でも他にそれよりもっと重大な事故が多いのだから、冷淡に取り扱って、
「一度調べてみよう」というに過ぎなかった。ある分署では、
「四十二年の秋に居なくなったものを、四十四年の四月になって捜索願を出すというのは、どういう理由だ」
 と言って訊いた。少し気に留めて聞いてくれる所でも、そんな事より他に注意を払わなかった。私もお前の事を警察にまで持ち出すというのは、自分の所為に対して恥辱を感じていたのだ。それが思い切ってそういう事を為るようになったのは、よくよく棄て鉢になったからだ。
けれども警察ではとても分ろう筈はないと思っていた。それを知っていながら自信のない事を持ち出して頼んだのは、そうでもしなければ静っと気を落ち着けていられなかったからだ。思案に能わぬ時におみくじを抽いてみるようなものだ。私はついぞおみくじを真心になって抽いて見た事はなかったが、そんなにまで馬鹿になっていた。そして警察ばかりでも安心が出来ぬから、ある新聞社の秘密探偵に頼んだ。それとてもいつもは、何だ、無智な愚民を好い加減に欺いて新聞屋が金を儲ける仕事だと冷笑するくらいに思っていたのだが、私はそんな事をすら頼みにする気になって、トンビを質に入れて五円をこしらえ、それを持ってその新聞社に行った。そして(……)