人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(29c)リー・コニッツ(as)

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コニッツは自分のレギュラー・バンドをついに持たなかった人だが、トリスターノ派プレイヤーとのみ共演していた初期は実質的にはレギュラー・バンドとも言えて、トリスターノ派と離れると独自のコンセプトに困った。「モーション」の爆発も評判を呼ばず、レーベル契約を失う。
67年にリヴァーサイドの後継レーベル、マイルストーンから9人のゲストと共演した「デュエッツ」(画像1)で、40歳のコニッツは6年ぶりに第一線に復帰する。つまり30代後半は数えるほどしか仕事はなく、アルバムも65年の発掘ライヴとパーカーのトリビュート盤1曲きりだが、それが話題になり復帰のきっかけになった。
「デュエッツ」はトリスターノとは異なるコニッツ独自の実験の成功作だが、例によって聴き手の胸に迫るものは、と思うと難しい。それは当時すでに欧米のジャズ批評家からずばり指摘されていた。「コニッツのジャズにはスタイルだけがあって、内容がない」。

だが1974年に、フィル・ウッズ&ヨーロピアン・リズム・マシーンを意識したと思われるハードなワン・ホーン・カルテットのライヴ「ジャズ・ア・ユアン」と前後して録音されたレッド・ミッチェル(ベース)とのデュオでコール・ポーター曲集「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」(画像2)は情感溢れる名作だからこの人は食えない。どれが本音なのか?どれもだろう。ジャズマンに限らず人間ならばこのくらいの幅は当然ある。
その後マイルスとの「クールの誕生」の現代版「ノネット」の企画などを経て、80年代はいよいよジャズ不況が「クラブにドラムスのスペースを空けない」という露骨な形で現れてきた。80年にギル・エヴァンス(ピアノ)とのデュオ「ヒーローズ」二部作を録音するがお蔵入り。ヨーロッパでの出稼ぎが主になり、レナート・セラーニ(ピアノ)とのデュオでスタンダード曲集「スピーキン・ロウリー」1993(画像3)をなんと発掘録音専門レーベル(主にパーカー)のフィロロジーから発表してしまう。正規リリースには違いないし本人らも納得にせよ、ここまできたか、という感が深かった。
幸い96年にはチャーリー・ヘイデン(ベース)とのデュオ作と新鋭ブラッド・メルドゥ(ピアノ)を加えたトリオ盤、昨年にもポール・モチアン(ドラムス)を加えたライヴ盤をメジャーから出している。御歳85歳、明日はどっちだ?