ショーターのブルー・ノート第1作には、この連載で既に触れている。
「ショーターもモーガンと同時期にメッセンジャーズを退団。モーガンはフリーランスに、ショーターはハービー・ハンコック(ピアノ)とロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)を擁するマイルス・クインテットに入団したが、彼らはリーダー作はブルー・ノートから発表し、当時は「ブルー・ノート派」、後に「新主流派」と呼ばれた。ショーターのブルー・ノート第一作「ナイト・ドリーマー」1964(画像1)はモーガン参加、リズム隊はコルトレーンから、という混成チームだが、メッセンジャーズでもコルトレーンでもない、ショーター加入後のマイルス・クインテットを予告する音楽になっている」
さて、ついに「新主流派」という問題になってしまった。ウィントン・マルサリスが根幹にし、以降も現代ジャズの美学的基準になっているのが新主流派で、元々はエリック・ドルフィーの遺作をめぐる長編評論でフランスの批評家が初めて指摘したのが、ブルー・ノートからの近作に目立って出てきた伝統尊重的な保守的改革で、これはブルー・ノート以外でもポール・ブレイ「フットルーズ」、チャールズ・ロイド「フォレスト・フラワー」、ジョン・ハンディ「ライヴ」にも共通する現象だった。おそらく発端は新人を多数発掘したマクリーン「ワン・ステップ・ビヨンド」63.4で、ドルフィー「アウト・トゥ・ランチ」64.2、ハンコック「エンピリアン・アイルズ」64.6が続き、ショーターの「ジュジュ」64.8(画像2)と「スピーク・ノー・イーヴル」64.12(画像3)、ハンコック「処女航海」65.5で絶頂に達する。既にショーターは最重要人物だった。