遡ってアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ時代のショーターを見てみよう。ショーターも自分のリーダー・バンド(ウェザー・リポート)を持つまで長かったが、コルトレーンの下積み時代と較べると下積み時代そのものにも華がある。大卒ジャズマンの走りでもある。初レコーディングもウィントン・ケリー「ケリー・グレイト」1959.8で(以下19略)、リー・モーガンとのフロント+マイルスのリズム・セクションという超一流メンバー。11月には早くも初リーダー作「イントロデューシング・ウェイン・ショーター」が同一メンバーで制作される。将来のマイルス・クインテット入団は予定されたようなものだった。ただしアルバムの出来は平凡で、ロリンズ「ニュークス・タイム」58の凄みやコルトレーン「ソウルトレーン」58の情感には届かず、新人の第1作としては可もなく不可もなく、というところだろう。まだ音楽全体をコントロールするまでには至らない。同じメンバーでも「ケリー・グレイト」はケリー(ピアノ)の音楽になっている。
そして59年秋にはジャズ・メッセンジャーズに入団。発売は70年代(つまりボツ)になったが、記念すべきショーター入団第1作「アフリケイン」59.11が録音される。以後、マイルス・クインテットに引き抜かれる64年春までの4年半にメッセンジャーズには25枚、自己リーダー作2枚、その他参加作18枚の合計45枚のアルバムがある。
60年8月の「チュニジアの夜」は入団9か月目にして第6作だが、メッセンジャーズ発足当初からの代表曲を取り上げて決定版といえるヴァージョンに仕上げた。この頃からバンド内のショーターの音楽監督としての役割が定着してくる。他のメンバーも良い曲を持ち寄ったが、主要な作曲家で編曲家はショーターだった。
ただ当初ブルー・ノート側ではショーター路線に理解がなく「チュニジア~」の後はライヴ2枚を除いて3作連続お蔵入り、1作飛んでまたお蔵入り。それが全曲ショーターのオリジナルの「ルーツ&ハーブス」61.3(画像1)やメンバーの名曲ズラリの「ザ・ウィッチ・ドクター」61.5(画像2)だからたまらない。
だが「モザイク」61.10からのトロンボーン入り3管路線はウケも良く、ショーター在籍最終作「インデストラクティブル」64.5(画像3)まで充実した期間になった。