今回の2篇も動的な題材を扱いながら描写は静謐で、執拗なまでに視覚的。『音』と題された詩篇ですら視覚的運動性によって構成されている。視覚性が高いばかりに音が響いてこない、という事態になっている。これだけ日本の詩で非・音楽的な発想に徹底し、独自な成果をあげた詩集は珍しい。
13.『高原』To my T.Miyoshi
穹円(おおぞら)では星座が拭きとられ、たった今、半球と半球の色が彩りかえられた。空気は寒冷、叢(くさむら)には露が藹(おお)かった。私は父に手を引かれて、苜蓿花(クローバー)の爛れた原の、白い木柵にそって靴先を濡していた。私はいつも、蠶(かいこ)色の皮膚に、頭蓋と眼球ばかりが大きく、輝いていた。
柵のつきた所に、牛が一頭、展けた湖に向って咆えていた。
私はいきなり、父の手をしっかと縋った。おお、なんと怖ろしい地獄の光景!
--神さま!
牛は白布で両眼を覆われ、冷え冷えするセメントの土間に立ったまま、四脚は革紐で縛りつけられている。口腔と鼻孔からの、尾をひいた唾液と荒い呼吸は、静かな朝の湖面を乱しはせぬか。鉄槌が角と角の間に閃いて、一切の神々さえ顔をそむけ瞳を閉じ給うた。
忽(たちま)ち、私は毛むくじゃらな腹部に、靴ばきで立っている屈竟な若者を見た。男の握りしめた氷の青龍刀。一瞬、炸裂する蒸気機関の流血とその迸音。腥(なまぐさ)い空気がゆっくりと、木立の緑に吸い取られて行った。そして、蝉の声と窓々の太陽!
私は、何時の間にか父の掌が、私の前へ、硬質焼のコップを差し出しているのを見つけた。
14.『音』
滲んだ碧空が瞳にしみた。落葉を蹈んだ。靴の下にも秋が潜んでいた。
犬が先立った。嶺に浮んだ白い断雲。花芒(のぎ)が霧のように飛散した。急坂が呼吸のピストンに石炭を増加する。
薄れ陽。薄れ陽にちかちかする空気銃。肩の空気銃は新しい。
私は一羽の鶸(ひわ)を射ち落した。とその樹の梢から、同時に二羽の鶸が飛び降りた。
破れた硝子のような三羽の悲鳴が、茨の向うへ駈け消えた。
私はそのまま坂を下りかけた。私は微かな空間の波動にさえ揺られていた。
何処かで、木の実が落下する音がしていた。
(隔日掲載)