人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(42e)ポール・デスモンド(as)

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Paul Desmond(1924-1977,alto sax)。
70年はデビュー以来初めて録音がない。「明日に架ける橋」の次作はモダン・ジャズ・カルテットとの競演で、現行盤CDは'Live In New York'71.12(画像1)として再発されている。「ファースト・プレイス・アゲイン」でやっていた'Greensleeves'はベタすぎたのでMJQとのヴァージョンのほうが良い。「明日に~」もユダヤ系デュオのS&Gにユダヤ系のデスモントの相性が良かったと思えるが、ベタになると通俗的になる危険があった。

ブルーベック、マリガンとの'We're All Together for the First Time'72.10-11とCTIレーベル移籍第2作'Pure Desmond'74.9の間にCTI第1作'Skylark'73.11-12(画像2)があり、このCTIからの2作が、デスモントのリーダー作としては最後の力作になった。バンドのサウンドフュージョン時代を反映したものだがデスモントは変っていない。『禁じられた遊び』'Romance De Amor'はさすがにベタだが、アルバム全体の軽やかな味などさすがだ。CTIにはチェット・ベイカー'She Was Too Good to Me'74.11、ジム・ホール'Concierto'75.4への参加を残してホライズンに移籍。

'1975:The Duets'75.9(画像3)はありそうでなかったブルーベックとのデュオ。これは素晴らしいアルバムで、6月に船上コンサートで'You Go To My Head'他1曲が録音され、アルバム企画に発展して9月に'Alice in Wonderland''These Foolish Things''Stardust'など6曲がスタジオ録音された。デスモント25年間の音楽的遺言といってよい。両者共に表現に格段に深みを増している。

この後デスモントは'Live'75.10-11を2作遺し、ブルーベック・カルテット'25th Anniversary Reunion'76.3に参加し、チェット・ベイカー'You Can't Go Home Again'77のタイトル曲のみ参加して楽歴を終えた。末期癌の告知は早くからあったと想像される。