人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

生々流転・前編(連作19)

(連作「ファミリー・アフェア」その19)

半年足らずで二度目の入院となると病状は初めての入院より重く、退院までの期間も長引いたので反省時間はたっぷりあった。ちょうど3年前に未決囚監にいた時季だったので、蝉の声が聞こえるうちに退院できたらいいな(3年前は生まれて初めて蝉の声が聞けない夏だった)、入院も監禁生活だけれど監獄よりはよっぽどマシだな、退院後の生活の立て直しは役所の各課めぐりと通院機関への挨拶だな、やっぱり妻の判断は正しかったな。
-おそらくあのまま家庭生活を続けていても、遅かれ早かれこうなっていただろう。歯科の治療も受けず、信頼できる精神科にもめぐり会えなかっただろう。妻は娘たちを護るために離婚を決意し、それはぼくにとっても良いことだったのだ。妻は娘ふたりを引き受けてくれた。

離婚してひとり暮しになり寂しかったのは、それまで家族ぐるみで親しくしていた娘たちの同級生(みんなとても可愛かった)やご両親がたと、もう会えないことだった。あらゆる職業、知りあう機会のない人たちと子どもを通して友人になり、休日は誘いあわせてピクニックや催しに行ったり、たがいの家庭を訪問しあったり…それらを一度に失った。

鞄ひとつで別居して、ウィークリーマンション退去後の一週間はホームレス生活だった。未決監の四か月を終えて、せめて数人には挨拶したかったが、財布に入れていた住所録には記していなかったので葉書も出せない。提訴にも結審にも妻は現れず、判決後に二人組のひとりから(刑事はいつも二人組だ)、
「もうこの町には来るなよ」
と得意げに言われた。新条令の摘発例を挙げて、これでボーナスは下がりませんね、とも言いたくなった。転居のためには区役所で転出届けを取らなければならないのだから「来るなよ」とはなんとも間抜けな台詞だ。

手続きを終えて釈放され、知らない街中を駅までたどり着き、券売機に苦労して路線を確認し、車中では凍りついた。さっきまでぼくは囚人だったのだ。もう一路線乗り換えると、馴染んだ住まいの最寄駅だった。
もう晩だったので、電話すると妻が出た。釈放されてきた。これからまた乗り換えて実家に行く。黄色いハンカチはないんだね?
「さようなら。お疲れさまでした」と妻に告げられ、ひと駅歩いて古本屋と新刊書店に寄った。まだ夏の終りで汗をかいた。