人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

松尾芭蕉「野ざらし紀行」1685

松尾芭蕉(1644-1694)の紀行文「野ざらし紀行」1685は稿本により読み継がれ、木版印刷されたのは、芭蕉没後の1698年になってからだった。晩年の大作「奥のほそ道」で頂点を極める芭蕉の、六編の紀行文・日記(随想文)の最初の一編であり、文庫版では七ページという小品だが、芭蕉六編の紀行文・日記はいずれも長編小説に匹敵する重みを持つ。「野ざらし紀行」の冒頭一ページを現代語訳してみよう。原文は漢籍からの引用に満ちている。

「千里におよぶ旅には食料の用意もせず、深夜零時の月の下には何もない。昔の人の流儀にならい、秋の八月に隅田川ほとりの自宅を出発すると、すでに風の声の寒さを感じた。

・野ざらしを心に風のしむ身かな
(路傍で朽ちる覚悟の旅には秋の風が身にしみる)
・秋十とせ却って江戸を指す故郷
(江戸の秋も十回になると上方で生れ育った自分でも江戸が故郷のようだ)

箱根の関所を通関した日は雨降りで、どの山も雲に隠れていた。

・霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき
(江戸からですら見える富士が箱根では霧で見えないのはおもしろい)

千里(ちり)という友人がこの旅の案内として万全に心を尽してくれた。常に親交が厚く、友人たちに信頼されている人だ。

・深川や芭蕉を富士に預け行く 千里

富士川のほとりを行くと、三歳ほどの捨て子が哀れに泣いていた。生活に行き詰まり、この川の流れに託して、少しでも生きていてくれればと捨てていったのだろう。「源氏物語」の小萩のように秋の風に吹かれ、今夜散るか、明日萎れるかと思いながら食べ物を投げて通りすぎた。

・猿を聞く人捨て子に秋の風いかに
(猿の鳴き声の哀れを詠った詩人は多いが、彼らがこの捨て子の泣き声を聞いたらどう思うだろうか)

どうだろうか、お前は父に憎まれたのか、母に疎まれたのか?父はお前を憎みはしなかった。母はお前を疎みはしなかった。これはお前の運命で、生まれてきたことを泣くしかない」

河原というのは古今東西捨て子や生活貧困者の場所と決っていて、川自体が水と食料の補給源になるし通行人にたかれるチャンスも多い。芭蕉のこの文はフィクションというのが定説だがリアリティはあるわけで、それも詩人の想像力の特権だろう。