尾形龜之助(1900.12.12-1942.12.2)/大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に参加の頃。
尾形亀之助の詩は西行に遡る隠者の詩とも言え、散文体の文体から系譜をたどれば『徒然草』『方丈記』芭蕉の紀行文など世捨人の人生観をエゴイズムの放下の心境の中で綴ったものでもあります。通常クリエイティヴな作業である創作では作者の姿勢は生の拡充に向かいますし、詩人としての北村透谷や石川啄木だってそうでしたし、尾形より年少でダダイズムから出発した中原中也ですらそうでした。ですが尾形の詩作は、まるで尻尾で足跡を消しながら去っていく小心な犬のように心情を打ち消していくものでした。生活も逝去の状況も尾形とそっくりに世を去った日本のダダイストに辻潤がいます。坂口安吾は辻潤を日本のダダイズムの脆弱さを体現していたと批判しましたが、辻潤や尾形亀之助を脆弱と言ってもそれは本質的な批判にはならないのです。
第2詩集『雨になる朝』昭和4年(1929年)5月20日・誠志堂書店刊/著者自装・ノート判54頁・定価一円。
十二月
紅を染めた夕やけ
風と
雀
ガラスのよごれ
夜の向ふに廣い海のある夢を見た
私は毎日一人で部屋の中にゐた
そして 一日づつ日を暮らした
秋は漸くふかく
私は電燈をつけたまゝでなければ眠れない日が多くなつた
夜
私は夜を暗い異様に大きな都會のやうなものではあるまいかと思つてゐる
そして
何處を探してももう夜には晝がない
窓の人
窓のところに肘をかけて
一面に廣がつてゐる空を眼を細くして街の上あたりにせばめてゐる
お可笑しな春
たんぽぽが咲いた
あまり遠くないところから樂隊が聞えてくる
愚かなる秋
秋空が晴れて
縁側に寢そべつてゐる
眼を細くしてゐる
空は見えなくなるまで高くなつてしまへ
秋色
部屋に入つた蜻蛉が庇を出て行つた
明るい陽ざしであつた
幻影
秋は露路を通る自轉車が風になる
うす陽がさして
ガラス窓の外に晝が眠つてゐる
落葉が散らばつている
雨の祭日
雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ
×
雨は
電車の足をすくはふとする
×
自動車が
雨を咲かせる
街は軒なみに旗を立てゝゐる
夜がさみしい
眠れないので夜が更ける
私は電燈をつけたまゝ仰向けになつて寢床に入つてゐる
電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のやうに細長くなつて
その端に電車がゆはへついてゐる
夢
眠つている私の胸に妻の手が置いてあつた
紙のやうに薄い手であつた
何故私は一人の少女を愛してゐるのであつたらう
雨が降る
夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる
後記
こゝに集めた詩篇は四五篇をのぞく他は一昨年の作品なので、今になつてみるとなんとなく古くさい。去年は二三篇しか詩作をしなかつた。大正十四年の末に詩集「色ガラスの街」を出してから四年経つてゐる。
この集は去年の春に出版される筈であつた。これらの詩篇は今はもう私の掌から失くなつてしまつてゐる。どつちかといふと、厭はしい思ひでこの詩集を出版する。私には他によい思案がない。で、この集をこと新らしく批評などをせずに、これはこのまゝそつと眠らして置いてほしい。