Grant Green(1935-1979,electric guitar)。
グリーンのブルーノート録音は61年の15枚に対して62年は10枚になった。61年のリーダー作は6枚でうち2枚ボツ、62年のリーダー作は6枚でうち3枚ボツだが、ソニー・クラークとの連作がぜんぶボツで、企画アルバム三部作は尋常に発売というのは事情を勘ぐりたくなる。ビル・エヴァンスの生活苦を救うために発売未定の録音をどんどん引き受けたリヴァーサイド・レーベルの例も同時期にある。ソニー・クラークが当時生活苦だった。当時のジャズマンの平均年齢は40代にとどまる。不摂生な生活で健康を害するからだが、基本は夜の職業だから仕方ない。長寿と短命が両極端の職業でもある。
前回紹介の「ラテン・ビット」から始まる企画物三部作はラテンに続きウェスタン、ゴスペルで完結する。'Goin' West'62.11(画像1),'Feelin' The Spirit'62.12(画像2)はいずれもハービー・ハンコック(当時22歳!)をピアノに迎えたピアノ・トリオ+ギターのカルテット編成で、ハンコック参加作の隠れ名盤との世評も高い。'Red River Valley'(前者),'Sometime I Feel Motherless Child'(後者)などのベタな曲を演っても臭くならないのだ。特に「フィーリン・ザ・スピリット」には『行けモーゼよ』『ジェリコの戦い』などプロテスタントのアメリカ人なら白人黒人問わず幼稚園児の頃から教会で歌う曲が満載で、ゴスペルとブルースがルーツにあるグリーンには単なる企画物以上の意義があった。グリーンはもちろんジャズ・ギタリストだが、本来の資質と企画が一致して生れた無理のない名盤だろう。というのは、この後グリーンには無理をした力作が増えていくからでもある。
サイドマン参加作8枚を挟んで、ようやく次のリーダー作'Am I Blue'63.5(画像3)が制作される。ジョン・パットンのオルガンにジョニー・コールズ(トランペット)、ジョー・ヘンダーソン(テナー)のクインテットで、管は控えめ。ビリー・ホリディで有名なタイトル曲、13分の'For All We Know'がアルバム冒頭と掉尾を飾るが、やや新鮮さが薄れてきた。63年のリーダー作はこれと11月録音の次作しかない。