人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

最近テレビで見た映画

ネット・ショップ等のユーザー・レヴューでエンタテインメントの各ジャンルを見ると、音楽はだいたい褒めたい人が書いている。本の評価はばらつきがある。映画となると両極端で、過剰な賛辞の一方、中傷や誹謗に近いレヴューすら寄せられる。なぜ映画には多くの人がたやすく感情的になってしまうのだろうか。

最近テレビで見た映画を順不同に放映枠で上げると、「午後のロードショー」では「マリンクラッシュ」「御法度」「クイック&デッド」、「日曜洋画劇場」では「バイオハザード」「相棒・劇場版」「劇場版・相棒2」「ツーリスト」、「金曜ロードショー」では「SPドラマ・警視庁特捜一課チームZ~リバース」「釣りバカ日誌イレブン」等を見ている。「釣りバカ~」はDVDは廃盤で実は貴重な放映なのだが、ありがたがって見るのは療養中の病人くらいのものだろう。

この半年間では外国映画では「ゴーン・ベイビー・ゴーン」、日本映画では「書道ガール」がどちらも期待せずに見たらとても良かった。「御法度」も実は今まで敬遠していたが、創造社時代を彷彿させる出来で大島渚の遺作として十分に充実した作品だった。
病気の性質上映画館は無理なのでテレビ放映されて見る気力があれば見ている。自分から選んでいるのではなく気力次第、という感じだが(「スターウォーズ」と「ハリー・ポッター」、「名探偵コナン」だけはどうしても駄目だが)例えば「アルマゲドン」より「ザ・コア」、「ツーリスト」より「マリンクラッシュ」の方が素直に楽しめた。「大砂塵(ジャニー・ギター)」が元祖の女ガンマン西部劇というB級映画の伝統があるが、「クイック&デッド」もなかなか良かった。

日本製刑事ドラマはどうにも悪弊があって、日本の推理小説横溝正史にしろ松本清張にしろ過去の怨恨を動機にして深刻ぶるのが主流だった。二時間サスペンスなんかもそうだし、大衆小説一般にまで因果応報の発想が汚染している。
アメリカ映画は破滅的な事態やキャラクターを描く時ですらつねに前向きだ。過去が暗示されても行動は未来に向かって積極的で、良くも悪くも深刻ぶらない。「ゴーン・ベイビー・ゴーン」のようなヘヴィーな映画でも力点は未来にあり、日本映画や日本の大衆小説のように過去の呪縛に囚われた人物がうろうろする世界ではない。この国民性の違いの由来はなんだろう。