人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小野十三郎「蓮のうてな」( 詩集『拒絶の木』昭和49年=1974年刊より)

[ 小野十三郎(1903-1996)近影、創元社『全詩集大成・現代日本詩人全集10』昭和29年('54年)12月刊より ]
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詩集『拒絶の木』思潮社・昭和49年(1974年)5月1日刊
昭和50年(1975年)2月・読売文学賞受賞
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小野十三郎著作集』第二巻・筑摩書房(平成2年=1990年12月刊)所収
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蓮 の う て な

小野十三郎

銃器と油と
皮革のにおいのするところにいる。
生きていたとき
ただ一口も言葉を交したことがない者たちの
汗のにおい、吐く息のにおいの中にいる。
泥靴の足を投げ出して
くずれた民家の土壁にもたれている。
地響を立てて前を戦車が通過している。
アザミに似た花が陽に映えている。
死後になって実存という言葉があったことを思い出す。
V字型に折れた鉄橋の下をながれる水を見ている。
一五〇ミリ砲の仰角の向うに
ナパームを浴びた樹海を縫うて
寸断された山道が遠くまで起伏している。
黒焦げになった木の枝が
まだ炎に包まれて道をふさいでいる。
自らの手で深く掘った穴の中
生きていたときいなかったところにいる。
草いきれと土のにおいの中にいる。
一挺のバズーカ砲の筒を闇に置いて
泥靴の足を投げ出し
壁にもたれたやつの体臭の中にいる。
木の枝で葺いた家の軒下から
はだしの子どもが
ふしぎそうにおれを見ている。
ラオス南部から
カンボジアの東北国境にかけて
白く大きくもり上っている雷雲は
生きていたとき見たことがないものだ。
「オウムのくちばし」に生き返って
十七歳からやり直す。
千年の樹根がからみついた
越南の
色鮮やかな寝仏のそばで
蓮のうてなで
こんどは本当に死ぬ。


 先週も晩年の佳作「フォークをスパゲティにからませるとき」をご紹介しましたが、これからはたまに、20世紀の日本の現代詩人中もっとも長い詩歴を誇った大阪の詩人、小野十三郎(1903-1996)の作品をご紹介していきたいと思います。

 小野十三郎は第1詩集『半分開いた窓』1926(大正15年)でアナーキスト詩人して出発し、プロレタリア文学運動にコミュニズム運動の同伴者(協力者)としてひそかに活動しながら暗喩的な作風に転換し、戦後にようやく自由な創作活動が可能になった人でした。それまでの全詩集と主要な詩論・エッセイ・自伝を集成した全集『小野十三郎著作集(全3巻)』1990~1991(平成2年~3年)刊行のあと、生前最後の詩集になった第22詩集『冥王星で』1992(平成4年)刊行後の90代は健康が悪化し、まとまった詩集は編まれませんでしたが、20歳で詩作を始めて23歳で第1詩集を公刊し、90代まで70年以上に渡って中断期間もなく詩を書き続け、日本の現代詩の中でも大きな存在感を持ち続けた詩人です。

 掲出した「蓮のうてな」は、第15詩集『拒絶の木』巻頭を飾る、前詩集『垂直旅行』1970(昭和45年)以降の新作で、1970年に勃発し、完全な終結は1993年にまでおよんだ、カンボジア内戦(カンボジア紛争)の勃発に材を採ったものです。おそらく報道写真やニュース番組を見た詩人の想像力が戦場に入っていったのでしょう。<蓮のうてな>とは仏教の涅槃を指す言葉ですが、ここでは実際に蓮が水に浮かぶ光景があったとしてもよく、平易な用語や句読法なので決して難しい現代詩ではないのに、詩の形でしか書けない、散文や映像には置き換えられない世界を捉えています。何より「蓮のうてな」は生死の境を描いた、切れ味の鋭く緊迫した文体によって小野十三郎後期の作風の始まりを告げる傑作になっており、この1編が巻頭にあるだけでも『拒絶の木』はこの詩人の後期代表詩集になっています。

 興味深いのは、最後の詩集となった『冥王星で』にも「蓮のうてな」への反歌(アンサー)になるような佳作が収められていることで、20年あまりを経て、90歳の詩人が70歳の時の自作をいかに乗り越えようとしたかがうかがえることです。あわせてお読み頂ければその意味もわかります。一人の詩人の詩歴をたどるとは、こうしたモチーフの変遷や照応関係に気づくことです。

新 し い 仕 事

小野十三郎

消せるものなら
死という言葉を
世界の詩の言語空間から
一つ一つ消していこう。
それはたいてい夜あけの樹木の
淡い影の中にあるから
外に出て
まず樹木を消すことに取りかかろう。
時間はそうないのに
影は地平までつづく森林の影になっている。
臥ているところから窓に見えるのだ。
たぶんおれの方が先に根負けして
樹木の影だけが
あとに残るだろう
それでも作業ははじめよう
明日と云わず
いまから
直ちに。

(同人誌「樹木」1990年=平成2年12月発表、詩集『冥王星で』エンプティ/ヴィレッジプレス・1992年=平成4年7月27日刊・収録)
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