入沢康夫詩集『倖せそれとも不倖せ』
昭和30年(1955年)6月・書肆ユリイカ刊
日本の敗戦後の現代詩は昭和20年代までは戦前・戦中に自己形成した世代がデビューした時期であり、純粋な戦後世代の登場は昭和30年(1955年)以降になります。その第一人者が谷川俊太郎(1931-)であり、また表題からも人を食った詩集『倖せそれとも不倖せ』でデビューした島根県松江市出身の詩人・入沢康夫(1931-2018)でした。あえて作風の異なる3篇を選びましたが、共通するのは現代詩によって詩のパロディを行っていることで(たとえば「失題詩篇」は横瀬夜雨の「お才」に代表される民謡調詩、また「鴉」や「夜」は抒情詩のパロディです)、そのあっけらかんとした悪意に詩意識の屈折がうかがえます。その新しさは詩人や詩の読者にはすぐに認められましたが、谷川俊太郎のように一般的な読者層に迎えられたとは言えないでしょう。しかし150年にもおよぶ明治以来の現代詩のアンソロジーを、このブログでご紹介しているように拾い集めてみる場合、入沢康夫はポスト・モダンの現代詩の先駆者として絶対落とせない詩人です。
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「失題詩篇」
心中しようと 二人で来れば
ジャジャンカ ワイワイ
山はにっこり相好くずし
硫黄のけむりをまた吹き上げる
ジャジャンカ ワイワイ
鳥も啼かない 焼石山を
心中しようと辿っていけば
弱い日ざしが 雲からおちる
ジャジャンカ ワイワイ
雲からおちる
心中しようと 二人で来れば
山はにっこり相好くずし
ジャジャンカ ワイワイ
硫黄のけむりをまた吹き上げる
鳥も啼かない 焼石山を
ジャジャンカ ワイワイ
心中しようと二人で来れば
弱い日ざしが背すじに重く
心中しないじゃ 山が許さぬ
山が許さぬ
ジャジャンカ ワイワイ
ジャジャンカ ジャジャンカ
ジャジャンカ ワイワイ
「鴉」
広場にとんでいって
日がな尖塔の上に蹲っておれば
そこぬけに青い空の下で
市がさびれていくのが たのしいのだ
街がくずれていくのが うれしいのだ
やがては 異端の血が流れついて
再びまちが立てられようとも
日がな尖塔の上に蹲っておれば
(ああ そのような 幾百万年)
押さえ切れないほど うれしいのだ