人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補2b)レニー・トリスターノ(p)

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Lennie Tristano(1919-1978,piano)。
前回掲載の「ライヴ・アット・カフェ・ボヘミア」は元々ビル・ハリス(トロンボーン)・オールスターズ名義のアルバムだが(ボックス未収)それなりに腕利きメンバーの中でトリスターノだけが未来を見据えた音楽をやっている。レギュラー・バンドの必要は必然的だった。

トリスターノはシカゴ在住時からビ・バップ最大の天才チャーリー・パーカー(アルトサックス)を尊敬していた。両者の競演録音は06年発売のアルバム、
Charlie Parker With Lennie Tristano:Complete Recordings(画像1)47.9.13&20,11.8/51.8
-にまとめられた(ボックス未収)。51年8月の2曲はトリスターノ自宅でのデュオで、47年の4セッションはジャズ雑誌の人気投票による楽器別のオールスターズになり、47年の彼らは人気絶頂だったのがわかる。ニューヨーク進出2年目と思うとトリスターノの出世は早かった。

次の公式録音は47年10月のトリオ4曲で、「キーノート」をさらに発展させた実験になる。12月のトリオ6曲、クラリネットを加えたカルテット4曲はさらに過激で(いずれもボックス収録)もうビ・バップとはいえない音楽になった。

Lee Konitz:Subconscious-Lee(画像2)49.1.11
-はコニッツ(アルトサックス)初期の名盤と名高いが、トリスターノ参加の5曲は元々トリスターノ名義の10インチLPでリリースされたもの(ボックス収録)。キーノート録音からのビリー・バウアー(ギター)、そしてコニッツと役者が揃ってきた。

次のスタジオ録音、
Intuition(画像3)49.3.4&14-16
-でウォーン・マーシュ(テナーサックス)が加入、60年代までつきあうメンバーが揃う。そしてセッションの最後の2曲でトリスターノはついに楽譜なし、打ち合わせなしの完全集団即興演奏をバンドでやってしまった。これは空前の試みで、史上初のフリー・ジャズになった。それが'Intuition','Digression'の2曲で、プロデュースのピート・ルゴロ(スタン・ケントン楽団)もよく許した。このセッション(ボックス収録)はトリスターノの金字塔になった。